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発声練習はIで始めて、高音の換声点にかけて口を開けるようにしてもらいました。
Iの響きは、密度が高いうえに、喉が締まらないので、良い響きになります。
高音になっても、喉を締めないために、口を開けて行くようにフレージングするわけです。
実際の曲では、ラヴェルの「5つのギリシャ民謡」となりました。
歌い出すとすぐに喉の締まりのために、細く鋭い声になります。
細く鋭くても良いのですが、締まった声というのは、どこか聞きづらいところがあります。
息をせき止めている部分があるため、旋律の流れがどこか不自然に感じるのだと思います。
確かに理屈から言えば、無駄な息を使わずに、声門閉鎖が綺麗に行き届いた、密な響きは美しい、となりますが、
現実はそのような声をいきなり手に入れるのはとても難しいことです。
その前に、歌詞を歌う時に、歌詞をメロディの流れとリズムに沿って発音する時に、言葉をしゃべるように
自然に息を吐くことが出来ているでしょうか?
喉が締まる人、歌うと喉が疲れる人、ブレスが持たない人、皆、この息が綺麗に流れていないせいだと思います。
今日は、歌詞を朗読する際に、ささやき声をやってみました。
ささやき声は、声帯を合わさない、いわば歌声におけるファルセットのような感じで息が漏れます。
この声でフレーズを朗読しようとすると、しっかりブレスを入れないと、とても持ちません。
一方、ささやき声をする時は、小さな気息的な声でありながら、相手に言葉を通じさせなければならないために、
高く喋ると思います、
同じ気息的でも息を軟口蓋に当てるように発音することに気付くと思います。
このことが、歌う時にとても有効な練習方法として成立する理由となります。
このような練習をしながら、実際に歌ってもらいました。
発声と言うものは、当り前ですが歌声を意識するために、時として必要以上に声を詰めてしまうのだと思います。
確かに息漏れのない、密な響きで良く通る声というのは、無意識レベルで出したくなるものです。
しかし、そのことが、実は息の流れない不自然な歌声を作っている、という矛盾に陥る原因にもなっていると思います。
ある種の歌声へのアタックの在り方として、息が流れることが意識できる発声も、一つの方向として
持って良いのではないかと考えるようになりました。
また、そのことが、言葉を語るように歌えることと大きな関係があるような気がします。