OM

コンコーネ15番の3番と2番を練習しました。
中低音の声は、声のポイントが大分固まって来ました。
喉が温まらないと、開母音は少し息漏れが出るため、母音をIにして練習しました。
細かい16分音符のメリスマは、滑らないで確実に音程と音形が明快になるように努力されてください。

トスティの歌曲からPreghieraを練習しました。
最初に朗読の練習をやりました。コツは、高いキーでイタリア語を読むことですが、
裏声にはしない方が良いと思います。

最後にシュトラウスの「春の唄」を通しました。

前半は、かなり良い声で高音まで歌えていますが、後半になると喉が締まって声の破たんが少し出てきます。

楽譜をよく見ると、テンポを必ずしもIn tempoにしなくても良い所が見えて来ます。
落ち着いて入って、急がないで良い所、先へどんどん進む所、ゆったりするところ。
それぞれの違いを良く出すことで、声にも良い影響があるはずです。
全部を急いでIn tempoで歌おうとするから、ブレスに余裕がなくなって、結果的にフレーズを歌う喉が
苦しくなり、喉を締めてしまうケースが多いのです。

テンポと間合いと良く考えて、良く歌い込む所、適当に抜ける所をメリハリ付けて、長丁場を上手く乗り切ってください。

TF

発声練習は、ハミングをやらずに母音始めましたが、いろいろやるうちに、結局当初から感じていた
発声時の姿勢のことが気になりました。

顔が前に出るのが気になりました。
声の問題が、その姿勢に起因するという気がしてならなかったからです。

曲は、Ridente la calmaで徹底的に練習しました。

声を出す瞬間、あるいはブレスする時点で、すでに顔が前に出ます。
顔が前に出るのは、ブレスのせいよりも、喉をあるべきポジションに置こうとするために、顔が前に出るのだと思います。

これらのことは強い癖なので、強制的にその姿勢を直す方法を取らないと、なかなか治らないです。
今回の方法は、足のかかとから臀部、腰、そして背中と後頭部を壁に付けて立ち、歌います。

しかし、そうやってもブレスの瞬間に顔を前に出してしまいますので、私が手で下顎をギュッと押して
その状態でブレスから歌い出してもらいました。

このような方法で歌ってもらうと、声が見事に後ろを通って、頭部、鼻腔に廻る声が出てきました。
後ろを通る、という言い方は特殊ですが、要するに口から直に出る印象ではなく、喉で発生した響きが、
鼻腔に入ることで、頭部で共鳴をした結果、声が響いている感じがします。

この発声の根本がなぜ大事か?というと、母音発声の弊害で喉が締まらない発声になるかです。
いわゆる「軟口蓋で母音を作る」ような発声になります。
鼻腔共鳴でもありますが、いずれにしても声楽発声の根本的なことなので、とても大切です。

今回のレッスンはひたすら、姿勢でした。
最後にふつうに譜面台の前に立って歌っていた彼女の姿勢は、恐らく初めて見るくらい、声楽的に良い姿勢でした。
顔の位置がまったく違って見えました。

NS

SoirとNellを一通り練習しましたが、なかなか判断が難しいなと思う面がありました。
彼女の声の場合、その微妙な違いが大きな違いである、ということについて、正確で間違いのない指摘がどれだけ出来るかどうか?

喉の使い方が上手く、音程感が良くて声質も良いため、どうやっても欠点が表に出てきません。
しかし、すぐ傍に立って観察していると、判ることがありました。

中声域の場合、思ったより胸声区の響きが使われており、それが意外と負担になる可能性があること。
また、音程も響きも一見良くても、息の流れに自然に沿っていない面があるようです。

SoirとNellいずれも、何度もフレーズ毎に、発音と響きの関係を検証して行きました。

概ねですが、ちょっとした下顎の使い方、そのことによる軟口蓋の開き具合による、高い響きが
出るかどうか?というところが、落とし所になりました。

今までの発音や発声ともっとも違って聞こえるのが、広いEの母音の響きです。
これが、私が望む響きにほとんど近くなったことが、進歩の大きかったことです。

このEがどうしても狭くしか聞こえない響きだったのが、彼女の今までの中低音発声の課題でした。

以前から何度も指摘して来たことですが、声の響きの質ばかりに目が(耳)が行って、声を空間に
一端反射させる意識、というイメージが持てなかったようですが、ようやくそれが実現した感じです。

ふつうは口先で母音を発音することで、口先が解放される感覚ですが、それをそのまま軟口蓋に
持って行き、そこで上に解放されるようなイメージになることです。
軟口蓋で母音を作る、とはよく云ったものだと思います。

本人にとっては、ごくごく当たり前の姿勢が、実は声を生み出す一つの大きな原因になっています。
良く言うのですが、発声=癖、ということ。

ですから、発声法を学ぶという意味は、癖と戦うということに他なりません。
他のこと、を想像してみると判りますが、癖と言うのは無意識ですから、無意識を有意識にすることが、
どれほど大変なことか?理解できると思います。

癖ってなんでしょう?そうやっておのれのことから想像してみるわけです。
そこで、判ることは、癖とは自我そのもの、といっても過言ではないことが分かります。

結局、レッスン(お稽古ごと)というのは、生徒がおのれの癖と戦って、新しい価値観を再創造することだと言えます。
大げさですが、そう思います。