ST
発声練習は一通り軽く喉を温める感じにしてから、スタッカートでコロラトゥーラの音域までを練習。
換声点近辺の発声は、通りと音程感が良くなったし中低音の声質もバランスが良くなった、と感じた。
実際の歌だが、夜の女王ということもあるが、歌声の気迫が基本的に弱いこと。
この理由は発声だけ考えて歌おうとしているからではないか?
特に神経質なまでに換声点は中低音のピッチ、あるいは高音の換声ということに集中し過ぎていないか?
それらの個別な練習は大切だが、歌うときには音楽の表現にもっと寄り添ってエネルギーを集中すべきであろう。
あるいは発声だけを考えるのであれば、むしろ超高音域から換声点付近に降りた際に、そのままの声では歌えないのに換声しないで対処してしまうのでは
中途半端と言わざるを得ない。
声だけで考えるなら、もっと良い意味で喉を気にしないで、しっかり出そうとすることが原点と思うべき。
それは、彼女のキャラクターも関係あるだろう。
今回は特に「ああ、恐れ慄かなくても良いのです 我が子よ」を中心に練習。
ドイツ語の歌詞で歌うのは、前述の声の問題もあるので母音唱法で徹底練習をした。
とにかく換声点そのものを気にしないで、良い意味で声を張って歌い通すことに徹してもらった。
もちろんコロラトゥーラ音域に入る際には、無意識にでもチェンジするべきであって理屈以上に生理的になるべきであろう。
2曲目の「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」
こちらは練習を重ねているので、歌詞で歌声の力強さを中心に練習となった。
声を張ろうとすることで、懸案の換声点前の喉の上がりが回避できる傾向である。
ただ、コロラトゥーラ音域から換声点前に降りたとき、喉が高いままでフレーズを歌ってしまうことで、喉が締まってしまう点が要注意であった。
下降形の方が、換声を強く意識すべきであろう。
その際に、特に跳躍するときに口を開けて喉を上げないように対処することである。
MMH
発声練習はいつも通りに、Mezza voceを意識したもの。
強いて指摘したことは、音符を置きに行かないこと。
最初の響きの続きで音階や和音が生まれるように歌声を息で伸ばしていくようにすること。
トピックは低音域の口を開けたハミングの練習と母音に変換する練習。
これが低音域における地声回避にとても有効だからである。
コンコーネは34番。譜読みはほぼ完ぺきであった。
リズム感、音程感ともに良かった。ピアノ伴奏の音楽に気持ちよく乗って歌えていた。
ベッリーニのSogno d’infanza
ベッリーニらしいフォーク調でありながら、ドラマを感じさせる秀逸な歌曲である。
有節歌曲なので、言葉の理解はより深い理解が要求されるであろう。
その前に、発音そのものを明快にすることを重視すべき、と指示した。
これは、根本的に言葉を相手に明快に伝える意思を以て、パブリックな立場で語ることが基本にあるという意味にある。
次のBella Nice,che d’amoreも同じであった。
声の弱い強いの表現の前に、歌詞を明快に語ることを良く練習すると良い。
ドビュッシーBeaus soir
これも楽譜上の強弱の表現以前に、最低限の声の響きのレベルを確立すること。
いわばヴァイオリンの弦を擦る音、リードがきちっと振動した音、のように。
もう一点、ドビュッシーの一連の作品に多い、旋法性を意識した和音と声とのアンサンブルの重要性。
それは伴奏音楽の和音に対する声のピッチの取り方に意識を向けることが重要ということ。
楽譜のヴォーカルパートに書いてある一点の音、ではなく、和音の中にある声の音の位置である。
ドビュッシーのようにドレミファから外れた旋法性が強い音楽は、ピッチにおいてもドレミファとの違いが出てくるのである。
数回通して、ほぼ出来るようになった。最後のPやPPも声をかすれさせないで、あくまで正常な響きの範疇での弱性であることを大切に。
これらの点は、次のC’est l’extase langoureuseにおいても全く同じこと。
こちらの方が練習を重ねているせいか、出来がよろしい。
音程感がとても良い歌声になっていた。高音発声も良い。
特に、最後の低音域のフレーズが地声にならずに明るくピッチの良い歌声で歌えるようになった点が大きかった。