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今日のトピックはモーツアルトの歌曲「ラウラに寄せる夕べの想い」の練習から始まった。
シンプルなメロディラインだが、ちょっとした違いがこの歌曲のドラマを表現していることに良く気を遣う必要があると思った。
おだやかなメロディが始まるが、その後にちょっとした変化が顕れるときに、音符に違いがあるのが判るはず。
その違いを、より外に向けて意識的に歌声で表現すること。
違いはすべて音符で表現されているし、リズムの違いになっても表現されているが、意外に気づかないものである。
歌い出すと、一つの調子でそのままば~~っと歌ってしまうのは、一つの発声的な集中力のせいであろう。
発声はもちろん母音の響きをどう扱うか?は大事なことだが、それと同時にいかに書かれている音符に従って歌えているかどうか?
という点でも同義なのである。
リズムを正確に顕せるか?音程の違いを正確に顕せるか?
あるいはフレーズの響きの増減や変化を表せるか?
それらはすべて発声につながっているし、またそれはそうしようと思うかどうか?という脳の集中力の問題でもある。
つまり一度出した声を、そのままの調子で、いわば一本調子で歌うのか?変化が出るのか?という違い。
それはどうしたら生まれるのか?といえば、音楽の違いに敏感に声が反応「出来るか?」ということに他ならない。
それは音符の違いと同時に歌詞の意味を理解しているかどうか?でもある。
ふつうは作曲家が書いた音楽に、歌詞のドラマはすべて反映されているのだが、オリジナルの歌詞の具体的な意味が判らないままだと、
音符を表現するのでも、力の入り具合が違ってくることになる。
音符はそこまで細かく演奏者に指示を与えることは出来ないものである。
今日は他にヘンデルのエジプトのシーザーからPiangero la sorte miaを。
これは、特には中低音の響きのための口の開け方の工夫を指摘。
これなども、音符が表現している音、和音のなかの音程を歌声で表現するための意図が問われるだろう。
つまり音楽的かどうか?ということへの気遣いであろう。
モーツアルトのPorgi amor
ここでは歌詞の意味、つまり言葉をどう語るか?という部分を徹底して勉強すること。
歌詞の意味をよく理解しておくことで、歌の表現は自然に出来上がる、という彼女の歌唱レベルになっていると思った。
最後にプッチーニのInquelle trine morbide
冒頭のシンコペーションの伴奏に対して、歌の旋律は拍を数えないこと。
逆に言えば拍を数えないとリズム感が把握できないうちは、歌にならないと思って間違いない。
伴奏がどうあれ、自分の歌はこのテンポでフレーズする、という意識が持てるまで練習あるのみである。
そしてMolto legatoと急激な弱声への変化のためのブレスを十分に意識しよう。