前回力みが少し目立った発声たった1回のレッスンだったのに、今日はがずいぶん改善されていた。
かなり力まないで出せるようになっていた。
そのため中低音域は一見声量がないように思うが、それがあればこそ高音で力が出せる発声になっているだろう。
まだ、締まるのが少し怖い感じがあるが、怖がらずに一気に出す、あるいは上り詰めていくことが判れば、もっと高音は出てくるだろう。
強いて言えば中低音の発声で暗く深い発声にしないで、もっと明るく高く響かせることをつかめば、もっとソプラノらしい明るい声になるだろう。
今日はあまりうるさく言わなかったが、舌根を力むことや下顎の使い方に注意。
中低音の声もなるべく頭の中で響かせる、あるいは顔の上半分で集めて出すこと。
大きい声を出そうとすると、絶対に出来ないと思う。
大きい声を出すのではなく、小さくても集まった響きを作る意識を持つこと。
逆に高音、特に2点Fから上になったら、下あごを楽に降ろして喉が少し下がるくらいの意識で出せると、締まる感覚が薄まるだろう。
結構微妙な感覚なので、ていねいに根気良くやってほしい。
ただ、お腹から声を出し始めるということは忘れないで大切にしてほしい。
ともすると力まないというあまり、お腹もなくなってへろへろの声になってしまってはいけないから。
歌は「モーツアルト」から「星から降る金」
日本語歌詞なので、言葉のシラブルが多く、テンポの設定は言葉を歌い回す能力と関係があるので注意が必要。
ちょっとでも早すぎると言葉が回らないし、大事な旋律感が消えてしまう。
この場合言葉の歌詞がわかることは大切だけど、一つの大きなフレーズをきちっと把握して歌えれば、意味を判らせることは充分に可能だ。何を言いたいかというと、音符の形に囚われすぎないで、日本語の単語、あるいは意味上のフレーズを歌いながらもそれを判って歌うことである。
日本人だからわかるに決まってんじゃない!と思うなかれ。実は歌というのは歌ってしまうと、いつの間にか言葉が頭からすっ飛んでしまうものなのである。特に大きな声を出す人ほどそうである。それは生理的に仕方がないのだが、バランスは大切にして欲しい。
もう一曲、こちらは「エリザベート」から「夢とうつつの狭間に」
こちらはゆったりとして、歌いやすいだろう。高音に昇るフレーズでは、どうも高音をアタックする瞬間に締まるというか
声を引いて当てる癖があるようで、これは印象が悪い。
思い切り当てて広げていくように高音は扱って欲しい。
彼女はなかなか感が良い。きびきびと反応が良いのでこちらも対応しやすい。あまり四の五の言わないで歌って歌って行けば
自然と身に着いて行くだろう。
声、容姿も含めてモーツアルトのある種の役柄がとてもお似合いなので、モーツアルトなどもこれから期待したい。
まなべさん
しばらく声を出していないせいか、温まるのに時間がかかったが、温まればどんどんと調子を上げて行ったので、心配はない。
強いて言えば、中低音域の声をもっと集めること、高く響かせることである。
下あごを下げて、喉を無意識に下げてしまうために、喉が開きすぎてスカスカとして暗いこもった声になってしまうこと。
中低音は下顎の使い方に充分注意して欲しい。
なるべく響きを上顎から上に集める、当てる、という意識。
そうすると自然に少し喉側を閉じる意識になると思う。
そういう中低音を出すことで、中高音へのつながりももっと良くなるだろう。
この発声は最初は喉が締まった感じ、あるいは浅い、ちょっと軽薄な響きに感じるかもしれないが大丈夫である。
トライしてみて欲しい。
声量がなくても中低音が通ることで、音楽が良く判るようになるから。
高音については必要充分で綺麗に鼻腔に通って出ているので、今のところ言うべきことはほとんどない。
ドビュッシー「噴水」はソルフェージュ的にはきちっと譜読み出来ていたが、この曲はそれだけだと形にならない。
まず基本テンポはなるべく重くならないように。流れることを主眼に。
テンポが流れても良い、という意味ではなく流れのある、つながりのある、有機的なテンポ感ということ。
その基本にはきっちりした拍節構造が当然あるけども、それは表面上は微塵も見えない。
旋律のレガートと同時に言葉の抑揚が生きている旋律が自然に音楽の大きなリズムを構築するようなイメージだろう。
ちょっと難しくなってしまったが、もしかして音符を正確に扱って歌うことに意義を感じているとしたら
それだけに留まらずに、後は言葉の抑揚に任せて自由に歌って見たら良いと思う。
音符をきちっと歌うあまりに、言葉の抑揚が持っている生命力みたいなものが殺がれてしまうのは、勿体無い。
「マンドリン」は2拍子の楽しいリズム感と、フレーズによる言葉の演技、遊びが良く出ると良い。
これは演技と捉えても良いが、そう捉えないでも、ドビュッシーが書いたフレーズの形を、強調して
お客さんにわかるように歌う、というスタンスでも構わないと思う。
それらは楽譜の指示に書いてある場合もあるし、書いてない場合もある。
書いていないからといって、何もしないのではなく、旋律の形から自分のイメージを膨らませて更に強調することは
この曲に限らず必要なことではないだろうか。
「それはやるせない夢心地」
こちらは、ピアニストさんにもご理解願いたいが、まさに有機的な旋律の表象を大切にしてほしいということ。
テンポも含めてこの曲が表している。けだるさや、物憂さ、夢心地と陶酔、情熱を、楽譜に書いてある倍くらいに
デフォルメしないと、演奏として聞いていて判らないのである。
例えば「マンドリン」にもあるが、半音階の下降形の長いフレーズがあったら、それをどう歌うだろう?
半音階を効果的に聞かせるには、滑らかにレガートに歌うのではないだろうか。
切れてしまうと、ドビュッシーがそう書いた意味が半減すと思うがどうだろう。
高音は抑える必要はいまのところないし、下手に抑えると声がきちんとしないので、思い切り良く出すべきである。
「我が心にも雨が降る」は、特に問題はない。ただこちらも中音域がやや弱い印象。
声そのものというよりも、言葉の発音で切れないように、響きをレガートにつなげて歌えるように。
そのための発音というように考えた方が得策だ。
まずは響きを大切にして欲しい。
ふかやさん
彼の発声は難しい。ともかく力みすぎるか抜けてしまうか、のどちらかに偏るためにコンパクトに確実な高音を出す発声がまだ見付からない。このため、出しすぎて勢いでまぐれ当たりみたいな高音の発声になってしまう。
発声では喉を力まないことは実行出来て来ているが、今度はお腹も抜けてしまう。
声の原動力はあくまでもお腹である。
声を出し始める時、即ちフレーズの入り口では、お腹から声を出し始めること。
お腹が動くことである。
その意識が必ずあること。
下顎の力みは大分取れてきた。
コンパクトに力まないというのは、前にも書いたと思うが、楽器を思い出して欲しい。
笛でも高い音を吹くときに力は要るが、入れ過ぎは変な音が出たり、ひっくり返ったりするのは人の声も同じだ。
ある点をイメージして、それが決まればそこを目掛けて一気に出す。
前回比較的成功した、口を開けないで鼻腔に通すというのが今日は実現出来ていなかったがどうだろう?
また、今日は高音で喉が上がる、顔が上を向いてしまうのを抑えて下を向くようにした方が上手く行くことがあった。
いずれにしても、声の原動力はお腹であること。
声は、言葉の延長で声を出すというイメージではなく、笛の吹き口、あるいはリードなどのように
はっきりと響きを作る場所というものをイメージして「響かせる」という意識をいまの10倍くらい大切に持って欲しい。
今のままでは、言葉を大きな声で歌っている、という感じだけになってしまう。
良し、それでも音程がはまって喉が持って、ある程度の曲をある程度の時間歌えれば結果オーライの面もあるが
恐らくそれはほとんど無理だろう。
どうも思うのは、少ない曲数で喉の負担の範囲内で歌うのであれば実現可能だが、それにしてもその負担はあまりに大きい。
もう一度原点に戻って、発声を考え直すことが必要かもしれない、と今日のレッスンで思った。
ちょっと高音を焦ってしまったかなというこちらの反省もある。
確かにモチヴェーションは大切だが、それだけで出来ることと出来ないことははっきりあるだろう。
トスティのIo ti sentoは良いとしても、ちょっとトスカのアリアは、まだ難しかったかな。
まだ判らないし結論付けたくはないが、あまり焦らないで気長にやって行きたい。
みねむらさん
今日はあまり発声のことをやらなかった。
ちょっとしたことで、すぐ治ることが多くなった。
特に中高音域で喉を下げて妙に太い声を出す癖がなくなってきた。ただ、まだ少し残っているが、意識されるようになった。
中低音域は、鼻腔に入れる感じが大分わかってきて、これも通る声になりつつある。
下顎の無駄な動きも少なくなってきた。
良い傾向が続いているので、この調子で歌になっても応用することを覚えて欲しい。
ある程度理屈も実戦もわかってきたようなので、後は定着を待つばかり。
特に気をつけて欲しいのは、曲を歌うときに中途半端な声を出さないこと。
理屈ぬきにしっかり声を出す、しっかり当てるということだけでも忘れないように。
曲はグノーのO divine redeemer
どうも相変わらず声のアタックが良くない。
どうしておずおずと当てるのだろうか?
楽譜の強弱指示を守っているのだろうか。
そうだとしたら、守る必要は、少なくとも声のアタックに関しては守らない方が良いだろう。
これはどの音域でも。
こういう癖というか、声の調子がなくなれば、第一段階終了なのだが。。判ってもらえただろうか。。
アーンのLa derniere valseは、声のことよりも言葉の扱い。
シャンソンというのもあるが、ただ譜面を棒読みでは味気ない。
どういう言葉を強調するか。言葉のどこを出すか、という原則は覚えて欲しい。
フランス語は基本的にアクセントがないけれども、必ず強調する場合にそれをする場所というのがある。
概ね語頭に来る場合もあるし、そうでない場合もある。
これの理由は、一つの単語がいくつかのシラブルで構成される場合に、長母音化する傾向の母音とバランスをとるために、その前の母音、シラブルでやや強調するとバランスが取れるということがある。
例えばL’automneの場合、鼻母音のomは長母音化しやすいので、その前のL’auを少し強調するとバランスが取れるのである。
これで気をつけるのは、意外と譜面の中の弱拍の場所にそういう部分が当っているものなのである。
あるいは長い音符よりも短い音符になることが多い。
そうやって、楽譜を見てそれを意識して歌ってみて欲しい。
奥行きのあるフランス語の歌になるだろう。