今日は今までの彼女の声の問題がかなり改善され、とても嬉しかった。
声で苦労している人が良くなるのを目の当たりにするのは嬉しい。

彼女に限らないのだが、声楽はちょっとした勘違いやイメージの誤解で発声の問題を抱えてしまうものである。
彼女の声を見ることで改めてこのことを再認識したし、自分の考えていることを確証した。

実は私自身もそうだけども、良い発声による声楽家の声というのは、最初からいきなり身に着くものではない。
発声という一つの枠組みの中で、どういう段階を経て、どう発展させて行くか?ということが本当に大切なのである。
手順と進め方だ。
そして、それは人によって違う、ということが、最も大切なことだろう。
一つの固定的なメトードが、どのような初心者にもピッタリ当てはまるということは、ほとんどないのである。

各人が声楽技術の発展途上のどの段階にいるかによっても違う。
彼女の場合は、声楽レッスンの経験は長いのだが、声楽へのアタックの中で、本当は先にやらなければならない点を飛ばして、違うことに労力を注ぎすぎたのだと思える。

これは彼女だけに限らず非常に多くの人に見受けられる。
喉の開き、あるいは喉を深くして発声する、ということである。
このことに偏りすぎていて、鼻腔へ響きを入れる発声を手にしないで長年来てしまっていたのである。
そのために、胸声区の声ばかりが強調されて、音程が揃わなくなってしまうのである。

喉のこのような使い方は、歌っている側にしてみれば、いかにも声を出している、声楽やっている、という感じがするものである。
しかし、鼻腔の響きが出来ないうちからこればかりをやると、非常に偏った声になる。
何よりピッチが悪い。
声が通らない。
力む割りに声が飛ばない。
と3拍子揃ってしまうのである。

こちらはそれを最初から見て取れても、本人がそのことに気づかない、あるいはその意味が分からなければこれは教えてもなかなか受け入れられないということもある。
何しろ声楽で大事な発声のポイント、核になること自体は、意外と立派な声ではないものである。
ただ、こちらに来てから彼女は私の言うことを本当に素直に良く受け入れてくれて、理解して実行してくれていると思う。

今日も実は発声のやり始めでは、いつも通りの悪い癖が出ていた。
それで、上向5度スケールを口を開けたハミングで、ピッチを合わせる様に、また軟口蓋を上げていくように口を使って練習。
後は、指をくわえてウの母音で同じく5度。
それから、Nyuで同じく上向5度の練習。
この辺りから、響きが鼻腔に入りだした。
特に2点C~E辺りが良い感じ。
そこから、Nyaとアの母音に変換するのだが、これが難しい。
いきなりアに変えてしまうので、すぐに鼻腔の響きが取れてしまう。

それで、エの母音から舌を変えないで、曖昧なアにしていくような練習をしていた。
私は前回の練習を忘れていたが、舌を口から出して発声するのが良い感じだ、とのことで、やってみた。
これも良い効果が出ていた。
舌を出すと良いのは、舌根を奥に押し込んで、喉を下げる悪弊を取り除く効果があるからである。

以上30分くらいで、めきめき中高音域の声が良くなった。
響きが集まり音程が良くなった。
最後にJaJaJaで発声をやっても響きが落ちないで出来るようになった。
これは良い感触、ということで、曲を歌ってもらった。

イタリア古典からCaro laccio
最初は早いテンポにしてみたが、彼女の指摘でなるほど四分音符69であれば、優雅なメロディ。
ということだが、声の揺れや音程の♭が心配だったせいもある。
しかし、ここでも発声的にはかなり問題をクリア出来ていた。
「スミレ」も同様であった。

本当にちょっとしたことで、俄然良くなった。
声が上手く鼻腔に乗るようになると、声を押さないので、余計な揺れもなくなり、当った響きが綺麗に
繋がるようになると、本当のレガートな歌唱になる、という見本みたいなものである。
それは、モーツアルトのドン・ジョヴァンニ、ツェルリーナの「ぶってよマゼット」のアリアで更に確信した。

声を押さないことである。良いところに声が当ったらそれだけで良い。
それ以上何かしよう、頑張ろう、立派な声にしようと思うと、もう駄目である。
それで大丈夫なのである。後は小屋の響きに任せよう。

それから、後は本番の時に自信を持って欲しいと思う。
実際、これだけ歌えるわけであり、絶対出来るだろう。