7月以来で久しぶりだったが、以前より良い状態だった。
ほんの少しだけど、喉が強くなった、あるいは声を出す力が強くなった印象。
あるいはこちらの要求することが、分かるようになってきたのかもしれない。
久しぶりで声を出すことが逆に新鮮だったのかもしれない。
発声は最初はなるべく低音で喉を身体をリラックスさせることをやり。
高音まで昇るようにしてみた。
彼女も例外なく2点Cくらいから声がすかすかと抜ける傾向がある。
それで、母音をイにしてみると喉の落ち着きが良い。
ただ、2点Cから上は、かなり意識しないと、ヘロヘロの喉で出してしまう。
これでは高音がしっかり出ないだろう。
特に母音をアにすると抜けやすい。
イからエそしてアと変えるようにして、イの喉の状態をなるべくアでも再現できるように練習。
特に2点C~Gくらいまで頑張って欲しい。
いつもいうように、お腹からしっかり出そうと言うところがまだまだ弱い。
それから声を出しながら、喉を音域に対応させるために開く必要があるが、単純な話、出しながら口を開けていくということも必要。
だが、口がそもそも動かない。
ドレミファソ~で難しければ、ドミソのパターンで徐々に開いて行くこと。
そしてソを出す直前で開くような動かし方。
要するにもっともっと動くことである。
彼女は歌っていも、体の中というのか、動かざること岩の如し、あるいは山の如しである。
ただ立って声を出すというだけでは、柔軟な音楽の動きに身体は対処出来ないのである。
広い音域を縦横に動いて声を対応させることは、ピアニストが指を腕を、手首を柔軟に使って難しいパッサージュを引くのと似ている。
同じように、声もそれを働かせる器官を縦横無尽に使うこと、動かすことである。
くらのさんの場合は、ただそのことだけ、に集中しても良いくらいと言っても過言ではない。
動く、というのは、表面的なことだけではなく、心が動くこと、声を出す時にその声で何かをしよう、あるいは
今日は日本歌曲を持ってきた。石井歓の「沙上」から。
調性感の希薄な音楽だが、指向性ははっきりあって、三好達治の文語体で海のある景色を描いた曲。
季節は初夏なのだろうか?山の葉のという枕詞が冒頭にあるから。
彼女にはやや高目なのだが、落ち着いてリズムをきちっとさせて歌うと意外なほど、この曲の良い面が出てくる。
やはり曲のスタイルをつかむことは、リズムが多きな要素だな、と実感。
中高音域が多いので、練習はかなり必要だが、それほど声を張る必要も無く、むしろメッザヴォーチェで綺麗に音程を出して歌えればこの曲の詩情が生きてくるだろう。
次の浦上日出夫作曲の「風の中に巣をくう小鳥」は、良く知らないが恐らく昭和30~40年代くらいの作品ではないかな?
音楽がそういう匂いがしている。
しかし、これも大手拓次の詩が実に天真爛漫な恋する気持ちを歌っているので、好感がもてる。
音楽は決して凝っていないし、むしろちょっと古臭いくらいだが、詩の天真爛漫さを率直に表したもので、逆に好感が持てた。
声のこともあるが、朗読、語りの勉強は必要だ。
こんな詩を人が聞いて、楽しめる語りが出来れば、恐らく声楽的に難があったとしても、演奏は成立すると思った。
それくらい、単純だけど良い詩である。
最後に中田喜直の「6つの子供の歌」から「おやすみ」
こちらはむしろ声楽的に難しい。但し書きで付点四分音符+8分音符の構成を、四分音符+3連符のタイとの組み合わせのように歌う、と
なっていたが、それなら最初からそう書けば良いのに、と思った。そうかくと譜面づらが読み難いからだろうか?
譜面どおりと指示された方法で歌うのでは、まるで旋律のリズム感が違うからである。
ともあれ、日本歌曲は教えていて面白い。当たり前だが音楽と言葉の結びつきが直截に分かって、イマジネーションが浮かびやすい。
おのさん
発声はいつものようなメニューで1点C~2点Gくらいの間を、上がったり下がったり、母音だけでやったりハミングでやったり。
本人は何か楽器の練習のし過ぎで、声が出なくなったりということがあったらしいが、今日聴いた限りでは特に問題はなかった。
ただ、以前からの胸で息を一杯吸って、思い切り喉を下げてどか~んと当てて出す方法が、また復活していた、という印象。
彼女の発声は、以前からずっと指摘している喉頭を舌根で押し下げる癖を取る事、この一点だと思う。
他の部分、それは声帯の合い難い資質などのハンディを差し引いてもである。
今日も散々発声練習をやってみて、最後の最後に行きついたのが、この部分。
歌っている姿を側で見ていても、目に見えるくらい喉が太くなる。
物凄い勢いで喉を下げる癖がある。
それから、そのことと関係があるが、胸に一杯息を吸う癖である。
これは、声帯が合い難い、という生来持っているハンディも関係があるけども、どちらがどう、というより、ちょっと気をつけて
直すこと、そして直した方法を癖にすることを怠らず地道に続ければ、ハンディもかなり克服できるはずである。
実際、かなり克服出来て来ていたと思う。
声を出している間、胸郭がすと~んとしぼんで落ちてしまうので、落とさないよう支えることと
喉を少し空けておくことが分かれば、息は少しだけ入れれば良い。
胸が開いて上がっていれば、後はお腹に任せれば自然にお腹が動いて息を入れるだろう。
胸が落ちているから、胸を上げて息を吸おうとするのである。
何か大きな声を出すことと、深い響きを出すことが声楽なのだ、と思っていないだろうか?
決して小さな声で良いということはないが、楽器と同じく、発音体を正しく響かせること、そのための
体の諸器官の使い方の工夫を覚えることが大切なのである。
自分では分からなくても、意外と声は通るものである。
必要以上に力まずに、少ない息で効率よく鳴らす、ということを常に念頭において欲しい。
今日は発声に時間をかけて、この喉を下げる癖を矯正してみた。
顔を天井に向けてあげて発声してみると、特に2点D以上くらいで発声する場合に、喉を下げようとすると声が出なくなる。
逆に言えば、喉を無理に下げないで喉に任せるようにして出すと、意外なほど高音が出る。
ただし、この声は平べったくて単純な声であり、洗練された声楽の声とは程遠い。
匡間違いなく健康的な声帯そのものの響きである。
余計な喉周辺の構えや力みがない。
この喉を見つけて欲しかった。
中高音でこれさえ出来れば、恐らく後はどんどん良くなるだろう、というくらい良かった。
私が言いたいのは、ともかく喉を押し下げて構えて作る声をなくしてほしいことである。
コンコーネ3番を練習時に上記の声の練習も兼ねた。
その後イタリア古典のDnaza fanciulla gentile を歌ったもらったら、目が覚めるくらい良い中高音の声が出た。
ようやく出来たか!と感激。
今日の発声、喉を構えないで素直に出す、ということを次回もぜひ再現して欲しい。