今日は可愛いお子さん連れでレッスン。2歳なのに実に大人しい可愛いお嬢ちゃんで最後は昼寝していた。
彼女はというと、凄いがんばっていた。
何が彼女を頑張らせているのか分からないが、必死になって食いついてくる感じである。
それだけでも買い!ではないだろうか。

今日のレッスンはとにかく身体を使って声を出そう、という方向で進んだ。
彼女の歌心は良いものがあるのだが、まだマイクで歌う感覚がある。

発声練習は、前回の結果を受けて高音へのつながりの良い声になっていた。
練習の成果が見えるものだった。
高音域にチェンジする際に口をつぐんだ方が出しやすいのだが、声のチェンジがあからさまに出るので、最初から開いた状態を作って
そのまま上がっていく練習である。

これは、端的に言って高音をしっかりさせる意味がある。
また、今の段階ではこれが絶対ということではなくて、総合的な声の開発の一途上である、と理解して欲しい。
結果的に段差がなくなれば、口は閉じようが開けようが別にどちらでも構わないのである。

今やっていることは実はまだ中低音も喉に頼っているし、当然開いた声でそのまま高音まで出させているのは喉に負担があるだろう。
理屈ぬきで声を出してほしい、ということだと理解して欲しい。
今回の本番はそのレベルで挑戦して欲しい、ということである。

その上で、本番が終わったら中低音の響きを更に良くして行き、結果的に高音へのチェンジを滑らかに繋げていけるように練習したい。
あまり細かいことにはとらわれずに、今日の結果を大切に次回につないで欲しい。

Nel cou piu non mi sentoは、出だしのNelをちゃんと出すこと。何となくだと聞こえない。
途中のフレーズの終わりを伸ばすところは、充分伸ばしていて好感が持てる。とても良い。
最後の高音も上手く出来ている。

O cessate di piagarmiは、最初元気がなかったが、中間の盛り上がりとアッチェレランドを出してを声をしっかり、ガンガン歌い進むことを大切に。この出だしも大げさに大げさに。感情の起伏の大きい民族。嘆き節でも日本人のように暗くならないで公明正大に行くことた。

Caro mio benはよく練習した。
高音のCessaは流石にあけるのが難しいのだろう。最終的にどうにかまとまった声が出せたので良いと思う。
口を開けない方向なら、中途半端に開けない方が上手く行くだろう。

最初のCaroから、しっかり歌いこんで欲しい。Kの子音と発声は、ブレスで中を開いておくために口を開いた状態から発音するべきだろう。
従って、舌を軟口蓋につけるようにしてKの子音を発することで、軟口蓋も上がりやすいのである。
2回目のSenza di te languische il corはブレスがどうしてもつながらないので、Teの後でブレスと決めた。
これは間違わないように。

ガンガン歌うという方向だが、発声が完璧に行くわけではないので、くれぐれも練習のやり過ぎには気をつけて。
喉が痛みやすいから、同じことを何度も繰り返して練習しない方が良いだろう。

つげさん

発声練習に少し時間をかけた。
中低音の声がもっと出ないか?ということで発声の訓練的な練習を考えた。
いわゆる地声といわれるものだが、地声そのものを開発するというよりも地声から地声に限りなく近い一段上のチェンジする声を
作りたいためである。

最初に歌う癖をつけたときの声の使い方が、その人の声のチェンジを決めるのだが、恐らく基本的に張らない声を最初に身に付けると
女性の場合チェンジした声で歌う傾向が強くなるだろう。
また、同じチェンジした声といっても段階が2段階くらいあるのだが、高い声を出すこともあって高いチェンジを多用して歌ってしまうために、一段低い中低音域で使うべきチェンジ傾向の声がほとんど使えない開発しないで来た、ということでもあるだろうと推測している。

地声でもちゃんと喉を開いて、軟口蓋を上げてやることが大切。
なぜか?というと息を混ぜたピッチの良い(高い)地声が出せると、恐らくそのこと自体が一段上のチェンジに自然につながる結果になると思うからである。
声の出し始めで、わずか声帯が開いた状態でアタック出来るかどうか?
これだけでも、なかなか大変なのだが。Haという具合に息を混ぜるようにアタックすること。

それから地声領域でなるべく高いところまで上がっていく。
上がっていくに際して、喉がきつくなってきたらなるべく柔らかく発声すること。
あるいは途中でチェンジしても良いだろう。

そのような練習を上向形で行ったら、次は下降形でチェンジした声から地声に降りる練習。
これは、早めに地声に変えてしまうこと。

このような練習を交互に行い、チェンジ領域の声を作っていく。
大体1点F~2点Dくらいまでの5~6度の領域を、今の声よりも一段太くしていきたい。

あめくさん

伴奏あわせ。初めての伴奏者ということで音楽的に戸惑いがあっただろうか?
特に「愛の唄」は、テンポ感、ピアノの響きなどに違いがあったと思う。
テンポをこちらで設定しないで、自分で考えてやってみるという勉強をしてもらいたい、と思った。

ピアノのテンポが速く感じるのは多分右手の動きが目立つせいだろう。
ビートを大切にするよりも、左手のベースをフレージングしよく歌い、右手はその修飾的な役割りのように弾くと同じテンポでも歌手は歌いやすいかもしれない。
後は音量的なバランスだろうか?
音楽はもう少し軽い、あるいは可愛い、小さなもの、という感じだろう。
わざと子供っぽくする、というある種の気取りみたないものでフラン人の好むものだ。
とはいえ、ピアノの基本的な音質の良さタッチの良さには光るものがある。
基本は正にそこにあるのだから、後はバリエーションを覚えれば言うことがないだろう。

彼女の声だが、慣れない言葉の発音のこと(フランス語)もあって未だ喉が締まり気味だが、声のチェンジはやはり今までやってきたことを守って通した方が良さそうである。チェンジを強くすると喉が浅くスカスカした中音域で非常に聞きづらいし、音響的にも透らない声になって仕舞い勝ちである。それでも以前よりは良いのだが。

合わせとして一番難しかったのが、「歌を歌う妖精たち」
歌手さんはまだ慣れないフランス語なので、ともかく喋るのが精一杯。発声の余裕がないだろう。
かといって、テンポをゆっくりにすると、この曲の良さが生きてこない。
というところで、ある程度の妥協したテンポを見出そうとした。

当初は言葉の多いフランス語のせいもあり、喉の締まりが気になるので、声のチェンジを強くして、喉の辺りが薄まるように
出してもらったが、どうも落ち着かない。この声だと何を歌っているのか?線が良く分からない墨の薄い習字みたいな感じ。
で、声を元に戻してしっかり歌ってもらうことにした。

ただ、この曲の中間部Molto meno mossoはピアニストさんの力で実に良いmeno mossoになった。
勿論ピアノの音楽に負けじと歌いこんだ歌手さんの音楽的な集中力も良かった。
彼女は意外と遅いテンポに強いな、と感じたのは最後に歌った「祈りながら」

私の聞いた演奏ではもっとも遅いテンポで始まったのだが、そのテンポで見事に歌いきった。
その集中力には拍手を送りたい。
とはいえ声は未完成なのだが、テンポ感の中で歌いとおす集中力が演奏に見事に結実していたので、声のことが気にならないのである。
正に音楽の演奏の妙である。

ということで決して最初から一発で上手く合う、というアンサンブルの邂逅はなかったとしても、拮抗するアンサンブルの妙みたいなものが感じられる好ましい結果だった。

あめくさんを見ていると、一番変わったなと思ったのが歌う表情が以前に比べて格段に良くなったこと。
どうしてこんなに楽しそうに、あるいは祈るように、曲の変化に応じて、自然な表情で歌えるようになったのだろう?
こんなことだけでも長く教えてきた意味があったな、と感慨深いものがあった。
本番まで時間も残り少ないが、後は暗譜を確実にして、少しでも声に集中できるように頑張って欲しい。

みねむらさん

彼女も伴奏あわせ。
ショーソンの歌曲「エベ」は、ともかく今まで苦労して教えた発声を、ようやく分かってくれたか!という印象が強い。
安定した中低音と、スカスカしない中音域の声がコントロールできて、以前は難のあった中音域の音程も問題がなくなった。
安心して聴かれるものであった。声量も感じるし声質も良い。
良かった良かった、

伴奏のテンポが彼女の感覚には微妙に遅く感じると思うが、これは伴奏に従った方が良いだろう、と思われた。
ピアノが歌いやすいテンポに合わせると、音楽が軽過ぎてしまうように思う。
ということは、声も下手するとまたスカスカになってしまうような怖さもある。
変な言い方だが、気持ちよく歌うだけではなく、我慢して歌うところに妙味がある、とも言えるし、また自分の力で歌い進むこと、
それは言葉を意味を持って歌うことにもつながるだろう。
その程度の微妙な伴奏との違いであった。

同じくショーソンの「蜂すずめ」は、まず伴奏の基本的な演奏の質は非常に高い。出だしのアルペジョなど目が覚めるようである。
だが、全体にタッチがやや粘っこい印象。非常にレガートで美しい音色が出るのだが、そのためテンポを引きずる印象がある。
もう少し音楽的にSecな方がこの曲には相応しいと思った。
ロマン派に近い音楽だけれども、すでに近代に入った作風だろうから、もう少し淡々とさらっとした方が良いのではないか?
それはテンポを早くする、という意味ではなく、タッチの明快さ、単純さ、みたいな点だろうか。

歌の入りの単打は少しRitしたほうが良いかもしれない。
ただし、歌手はこちらも伴奏の前奏に合わせるよりも、自由に入るべきである。
声の問題はこちらもほとんど感じなくなって、安心して聞いていられる。
多少の声のスカスカがあっても、音程が良くなったので気にならないのである。
テンポを早くするところは、ピアノも意識が必要だが歌手ももっともっと先に進む意思を見せて欲しい。

Un peu presserはなるべく強調した方が良いだろう。
また後半に出てくるピアノの右手の旋律はもっと聞こえたい。

ジョコンダのアリアLa voce di donna o d’angeloは、これも彼女の声の安定、声量ともに優ってきたことを実感。
特に出だしの一節は、とても良い声が聴かれるようになった。
発声の問題で音程が悪くなる、あるいは息漏れが多いという要素が軽減したことと、余計な感情を交えずに、音楽をあるがままに歌う、ということで音楽の美しさ、骨格が良く分かる演奏になった。

ただ、オペラのアリアという面から見ると、後一歩、役柄の感情みたいなものが、もう少し出た方が更に良い演奏になる、と思える。
特に、後半で感情が激してきたら、それをそのまま表さないとしても、声のアタックの強さに必要な息の強さや瞬間的な強いアタックなどの演劇的な声の要素が欲しい。
どうも、声を楽器として扱っているだけで、その根源が感情に由来している、という部分が希薄に感じられてしまう。
最後のAhはそういう意味として扱って欲しい。歌っている元は言葉であり感情である、ということを忘れないで。
特に歌曲よりもずっとリアリティのある事柄だから。

伴奏は後半の声のテヌート、フレーズのAllargandoなどに注意して欲しい。
しかしながら、音色、音量、フレージングなど素晴らしく上質である。
特に前奏のアルペジョの音色にハープ、下降形の切れる八分音符の音色がオーケストラの管楽器をイメージさせてくれて感心!実際はどうか知らないが。。。

さわださん

今日も合わせ。
アンサンブル的にはほぼ良い状態。
後は彼女の声とピアノとの音量的なバランスだろうか。
逆に言えば彼女があとどれくらい声が出せるか?声の勢いが出るか?集中できるか?にもよるのだが。
声自体は特に問題ないし、以前に比べると声の温まりに時間がかかっていたことが、かなり軽減されている。
発声をしなくても歌えるくらいである。

全体の印象としては、歌そのものに難が感じられないのだが、やはり迫力不足が否めない。
発声なのかな、、。声がもう一歩乗ってこない。
決して聞こえない声ではないし、伴奏の音量も考えれば成立するのだが、歌手の歌いこみ、歌う迫力みたいなものが弱い。
それはどの曲もである。
強いて言えば、確かに中高音域、2点Cから上の領域のフレーズは声が乗ってくる。
そういうフレーズになるとにわかに力がみなぎってくる感じがある。

そういう意味では発声なのだろう。
中低音はそういう意味で難しい。
その辺は確かに勉強不足だった。
譜読みで精一杯のレッスン運びだったので、声のことまで至らなかったのは事実。

ということはある、としても、後はイメージ。
何を歌っているのか?あるいは意味が分からなくても本当に心底歌に集中して声を出そうとしているか?
ただ、出すのではなく、集中して出すことである。

というのもこのノートを書いているのはレッスンの翌日だが、どうも印象が薄いのである。
「贈り物」も「ネル」も確かに低音域が多い。
強いて言えるとしたら、低音域は言葉を丁寧に歌うことだろうか。
そのために少し重くなっても良いから丁寧に言葉を歌うこと。
いずれも盛り上がりの音域が高くなってからは、良い。

「夕べ」も特に始まりの1節が一番大切だろう。
言葉をしっかりと歌いこむこと、しかないだろう。
単にテンポとかそういうものに従って何となく歌うのではなく、一つ一つの言葉に魂を込めて欲しい。
あまりこういう書き方をしたくないのだが、そうとしか言えないところが辛いところである。
発声の問題もあるし、また集中力の問題もある。
また、それらは二分できることではなく一つのものだからである。
最後の盛り上がりのところは言うことがない。よく歌えているのだ。

バランスに一番難のあったのは、「アルページュ」
これは、仕方がない伴奏でもう少し抑えてもらうほうが良いだろう。
最後の盛り上がりは一緒にがんがん行っても大丈夫だが。

後一回の合わせだが、さわださんの歌の集中力だけなので、これからが追い込みだろう。
風邪に気をつけてラストスパート!