11月初旬以来で久しぶりだった。
声はどうか?と思って発声練習を始めてみると、声がヘロヘロしてどうも良くない。
これはいかん!と思ってブレス時の喉の状態を作る方法を教えてから、下降形で発声を始めたら、どうやら元に戻ってきた。

しばらくやってないと、発声法もどこかにすっ飛んでしまうだろう。
声を出す時に身体の何処をどう使うか?早く覚えて身に付けてもらいたい。

彼女の場合、勿論発声という肉体的な方法を客観的に知ることは大切だけど、それと同じくらい、声を大きく出す、という素朴で原始的なことを先ず意識してもらいたい。

曲についての細かいことはレッスンで言ってあるので、ここでは基本的なことを書いておきたい。
日本歌曲だから、というわけではなくて外国語だろうが宇宙語だろうが、歌詞を良く読んで、どうしてこういう旋律が付いているのだろう?
どうして低い音で始まり、ここの歌詞では高い声を張り上げるのだろう?
ということを、自分なりに考えて欲しい。

解釈というのは、そういうことだと思う。
Popsの場合、曲に後から歌詞を付ける場合もあったり、リメークというのもあるが
我々が扱ういわゆるクラシックの曲は、既に単体で存在している詩に、作曲家が音楽をつけて歌にする場合が圧倒的に多い。
だから、詩そのものを考えることも大切だが、旋律がどうして詩に対してこういうスタンスを取っているのだろう?
ということを考えてみることが良いだろう。

だから、例えば今日歌った三好達治の「沙上」を紐解いてみれば、文語体というクラシックな文体に対して
作者は万葉集を思わせるように、民謡風の高らかに高音を歌い上げる旋律を書いている、ということが分かると思う。
作者のコンセプトは、「古風である」ことだ。
ならば、民謡はどんな声でどんな風に歌うだろう?と想像してみれば、自然と声の持ち方が分かってくると思う。

歌って素朴な所でそういうイメージがあって歌うもの。
だから勿論クラシックのスタイルとかオペラの歌唱法とかあるわけだけど、もっともっと原点においては
声を出すためのイメージ、自分の要求みたいなものを先ず大切にして欲しい。
逆に言えば、そういうものがないのに歌ってもあまり意味がない、と思うし、発声の会得も虚しいものだ。

歌いたいから歌う、という原点はどこにあるのか?
それは選曲から始めたら良いだろう。
自分が歌ってみたいもの、真似してみたいもの、それを探して欲しい。