T富さん
発声練習はあまり声のディテールを気にしないでやってみた。
この時点で気になっていたことが、実際の歌になると大きく現われた。
気になっていたこととは、高音に昇るにつれ声を引いてしまうことである。
要するに自然な声の指向性である、高音に昇るほど張りとつやを出そうと言う自然さが弱い声になっていた。
で、このことについて細かいことは書かないでおく。
どうも言葉で伝えることと、目的とすることがかけ離れて来ているように感じてしまった。
何かを言えば、そのことを真面目に練習する。
すると、今度は違うことが問題になる、という具合でどうも食い違い、すれ違いが大きい気がする。
問題は木を見て森を見ない、という言葉で集約されるだろうか。
発声の方法論のディテールばかりが先行してしまって、単純に歌を歌うという森がを見る感覚がなくなってしまうように思えて仕方がない。
今日彼女に伝えたこと、言いたかったことは、勿論発声法のディテールがあるが、それは結局歌を歌うためにあること。
レッスンをすることは、目的ではなくてあくまで手段。
最後は自分の感覚だけが便りである。
今言える事は、歌っていて気持ちよく歌えているかどうか?それはブレスがきちんと入って、ある程度のフレーズを伸ばして歌って
集中できるか?苦しくないか?息は普通に足りているか?
自分が気持ちよく、かつ快適に歌えてそのうえで声量が出ている、音程が良いところにはまっているように。
自分の感覚を大切にしてほしい。
理屈よりも、歌う身体が自然にそういう方向を目指すことを、まず第一義としてみてほしい。
それが出来てから、では現実的に問題があるなら、それはどうすれば良いか?
という話になれば良いだろう。
初めに発声法ありき、ではないと思う。
モーツアルト、ドン・ジョヴァンニのドラベラのアリア。
最初は2点F以上がすかすかになってしまうので、フレーズのブレスが持たず、息が足りずに苦しそうに歌っていた。
高音はもっと前に前に、しっかり出す意識だけで俄然変わって、楽に歌えるようになる。
音楽が表現しているものを、素直に単純に受け取れば、この曲の高音を扱うフレーズで、高音を細く後ろに引いてしまうことは
自然ではないと思う。
もっと自然に感じるものを素直に出すこと。
こうなるともう単純に思い切って歌うことだけに集中、としか言いようがない。
発声練習では発声のディテールに拘るべきだろうが、歌うときはディテールを捨てても全体を集中して歌い通すことを大切にして欲しい。
あるいは、こうも言えるだろうか、歌うときはひたすらブレスとフレーズを作り出して、それを集積させること。
気が付いてみたら、曲が終わっていた、という感じ。
細かいことは意識に上らせないことである。
SG田さん
発声練習はイの母音で上向形を主にした。
イにするとお腹とつながった声が出やすい。
声帯が上がり難いし、声帯も合いやすい。
要するにアなどの開口母音でも同様な感覚で出せるように応用できれば良いのである。
前回も上手く行った様に、喉をあくびして中低音からしっかり前に押し出すようにする声は定着してきつつある。
時折、お腹が外れてしまうのは、意外と高音にチェンジした辺りである。
しっかりと喉が上がらないように降ろして前に出すように意識して欲しい。
後は、声の揺れが出ないように意識して欲しい。
こればかりは、ただ単に揺れないように意識するだけだが、どうして揺れるのか?というところを自分でよく観察することも大切。
無意識にではなく、有意識で声を出してみると、意外な発見があるものである。
それが当たり前だと思っていた感覚が、意外と当たり前ではないようなことをやっているものである。
もう一度自分の当たり前の感覚を疑うことも大切である。
恐らく彼女の無意識の声の揺れがなくなると、劇的に発声が改善される、と思うのだが。
曲はグノーのVeniseから
大分しっかりした声が出てきているが、時々声が抜けてしまうことに注意。
特に2点Eくらいだろうか。
後は発音。これがやはり不明瞭。これをもう一度おさらい。この辺はこの曲でもう少し徹底したい。
ドニゼッティのConvien partir
イタリア語の発音がどうも不明瞭。もっと明快に発音すること。
発音をもっと口の前で処理することと、舌を良く使うこと。
お腹からの声を忘れずに。
この点さえ確立すれば、かなり良い演奏に繋がりそうである。
モーツアルト、イドメネオから「そよ吹く風」
Graziosoの意味。2点Eでロングトーンの声質、自然なクレッシェンドを大切に。
全体にモーツアルトらしい、非常に優雅な旋律、音楽である。
声による旋律を紡ぐ貴重さ、大切さに重点をおいて、より洗練された歌唱を目指したい。
K池さん
発声練習をして意外なのは、彼女が中音域で声が下側にチェンジしていても、あまり気づかないことが多いこと。
微妙だけど、違う。
よく言えばそれだけ、上側の声区の低音に芯が付いてきたのだろう。
上側の声でも、1点Fまでは確実に対処できるし、聞こえるようになってきた。
強いて言えば、なるべく声区は換えないで、喉をあくび状態にして開くようにすること。
このために、母音をウにして発声練習。
その喉の状態を保ったまま、アにして発声練習すると、喉が少し下がった、口先を開きすぎない、中で響く声になった。
一見中でこもっている感じがするかもしれないが、声質がノーブルになることと、その状態から上に行くと、上の声も力強くなって
つながりが良いし、広い声域に渡ってバランスが良い声になると思う。
また、更に低音になるほど、鼻腔に声を響かすように、顔面を意識することも低音を聞こえるようにするためには重要だろう。
特に下の声区にチェンジしない場合は、微妙な響きの違いで、声が通るか通らないか?が大きいから。
今日は歌でも忠実にこのことを守ってくれたので、非常にバランスの良い完成度の高い声の表現になった。
低音から高音まで滑らかにつながって、段差がないのである。
そのため聞きづらくない。
今までの声は、声区を変えない中低音は途端に喉の浅さが露呈されて、子供っぽくなってしまうか、チェンジするとPopsの声になってしまうか?どちらかであった。
これは苦労したけど、待った甲斐があったと思った。
彼女なりの経験もあるので、彼女の感覚を尊重しつつ、こちらの思うことも実行してもらいたかったから。
モーツアルトEt in carnatus estは、ほぼ満点なくらい素晴らしい歌であった。
中低音を下に変えずに対処して、充分通用する声になっている。
そして高音もふくよかできれいに響く。下から上まで人を喜ばせる滑らかで清純な歌声である。
何度もレッスンしてきたので、完成度も高くなってきた。
ぜひとも演奏会で歌って欲しいものだ。
ルチアからRgnava nel silenzio
こちらも中低音をほとんど変えないで、対処出来て通用する声になっている。
最初から数ページは、ほとんど言うことがないくらい完成度の高い演奏になってきていた。
しかし、惜しむらくは声が疲れて最後のページだけ、高音が力足らずになってしまった。
声が疲れるのは、体力もあるが、恐らく高音で上がった喉を、ブレス時や、中低音で上手く戻す作業が出来ていないのではないだろうか。
もっと積極的に中低音で、喉を柔らかく開くこと、下げる意識を持たせると、再度高音に昇ったときに復活するだろう。
また、調子が良いからといって中高音でびんびんだすと、彼女の場合は合わさりの強い鋭い声になるので、声帯自体の負担が大きいのもあると思う。
この辺は、配分の妙があると思う。発声云々以前に、これもテクニックの一つだろう。
「こうもり」からアデーレのクープレは、細かいことはほとんど気にならない。高音も最後のページまで優しくて女らしい控えめな色気の感じられる声が実に喜ばしい限り。
まるでカナリヤが側にいるみたいで、聞いていて楽しくなる。
全曲を通して安定している。後はピアノ伴奏との細やかなアンサンブル、掛け合いのようなものを洗練させると、面白い演奏になるだろう。
モーツアルト、夜の女王。
この曲は一番難しいと思う。
それは、女王の尊厳のようなものが、中音域の声で表現しなくてはいけないことと、コロラチューラの高音といえども力強さも必要だからである。
こちらは最後のページの高音が続くところが、やや力不足か。あるいは中音域を重くすることで、高音は更に腹筋や胸筋が必要なので、1時間のレッスンの最後で体力が持たなかったところも否めない。
彼女の声を聴いていると、簡単に出しているように思えてしまうが、結構体力を使っているのである。仕事帰りに1時間荒れだけ歌うのだから大変だろう。