TFさん

今日も伴奏合わせで、発声もやらずに始めた。
出始めがちょっと心配だったが、今日も新しいこと、でもないのだが、発声のことになってしまった。

あちら立てればこちらが立たず、ではないが、重心を低くすることを前回教えたら、今度は声が重くなって、下手をすると割れる場合が出てきた。
見ていると、喉を開く、軟口蓋を上げる、ということをブレス時に行って、いわゆる開いた喉の準備が出来ていない。

これは理由があるので、致し方ない面もある。
舌根の力みをうるさくいったせいで、今度は喉がまるで開かない喉になってしまった。
教え方の巡り合わせが悪かったかな。。と反省である。

この際、舌根も何もなく、とにかくブレス時に口の中のあくび状態を作って欲しい。
そしてそれが出来ていて、その状態を変えないでブレスが出来れば、中は開いているのである。

イタリア歌曲のDormi bellaは、特にかなりうるさくこの点を最後の練習としてほしい。
そうすることで、喉が開くから、声を出しても柔らかくなるはずだし、逆に言えば、声を張りすぎて無理しなくなる。

くどいようだが、あくび状態、というのは、喉も開くが、軟口蓋も上がるのである。
その両者のバランスを常に考えて、ブレス時に、声の準備をして欲しい。
特にエの母音は、口を横に引きすぎるために、

日本歌曲を歌う頃には、声も温まり、発声にも鳴れたせいか、声のことはもうほとんど気にならなくなった。
それよりも気になったのは、音符に従順に従おうとし過ぎること、あるいは発声を考えすぎること、だろうか。
日本語になるせいか、そういうことのほうが気になって仕方ないのは面白いことである。

それはともかく、発声そのものよりも、歌う日本語としておかしなフレーズ作り、あるいはフレーズ感にならないように、くれぐれも注意して欲しい。
どんなに歌っても、そこには日本語、言葉が歌われている、という現実がはっきり見えていて、その言葉が活き活きして歌われているということを最大限尊重して欲しいのである。
そうでないと、何か滑稽なことになってしまうのである。
それだけは、避けて欲しい。

具体的にはテンポ。そしてフレーズの扱いである。
例えば、フレーズの最後のシラブルを音符上は伸ばすようになっていたとしよう。
音符どおりに伸ばす余りに、ブレスが足りないのに頑張ってしまうと、今度はそのフレーズの日本語の語りの調子がなくなってしまうし、
力みが出て音楽が台無しになってしまう。

今日は、上記のことを最大限尊重するために、「瞳」はテンポをぐっと早めにした。
そして「愛のささやき」を逆にゆっくり目にした。
いずれも音符で歌ってしまわないで、歌詞で歌うことを尊重するためである。

日本歌曲は、声が慣れるせいと、日本語のせいもあり、声があまり気にならない。
何よりも自然に言葉を歌う、というフレージング、テンポを最大限尊重して欲しい。
それが、成功を導く最大の方法だと思う。

FAさん

初めての伴奏合わせだった。伴奏者も初めての方で、かっちりと丁寧に綺麗に弾く方である。

発声は低音から中高音まで、比較的にじっくりとやった。
低音は地声からの練習を少ししてみた。
地声でも声帯を開いて状態(息の混ざった、息を吐ける声)で発声する練習は大事だと思った。
これが出来ることで、その上のチェンジした中音域も更に厚みと膨らみが増した声になると思う。
彼女が地声が気になる理由は、恐らく外から聞こえる以上に、声帯をぴったり合わせて出していることと、慣れない、という2つの理由だろう。声帯をぴったり合わせないでも、地声で発声できると、声帯の低音の振動が出しやすくなるはずである。

L’allee est sans finは、とても良かった。
最初は譜面を見て歌うためか、音符を歌うようになってしまい、音楽が進まず、ブレスが苦しくなってしまった。
音符で歌わないで、言葉のフレーズを語るように歌い進めば、自然に前に自分で歌い進めるようになった。

これは、恐らく伴奏の音楽も関係あるだろう。
左手のリズムよりも、旋律で歌うようにして、下を走るシンコペを旋律の動きに合わせるように柔軟に弾けばフレーズ感が出て歌いやすいかもしれない。今頃言えよ!と言われそうだが。笑

それと、これも後で気づいて惜しいことをしたと思ったのは、あえて顔を少し上げて歌ってみること。
どうも低音で声を出そう出そうとする余りに、喉を締めてしまうのだが、そういう場合、逆に顎を少し上げることで、喉の力みが取れて息がす~っと通ることもある。
後は、もっと下あごを脱力して降ろすように開けて、アーティキュレーションすることだろう。

ただ、ブレスは顔が上がらない方が自然に深く入りやすいと思う。

En sourdineは、これも今になって思えば、テンポ感、伴奏の動きをもっと考えるべきだったか。
ピアノの跳躍しながらうねうねと続く音形の8部音符を、もっと滑らかに、ぼこぼこしないで真っ直ぐフレージング出来れば、テンポが重くならずに先に進む動きが出せるだろう。
彼女は、その伴奏の上を、低音の良い声で、真っ直ぐなノンビブラートな声でレガートに歌い進むわけで、ちょっとしたテンポの重さが
ブレスの厳しさにずっしり圧し掛かってくるだろう。ただでさえシビアな低音で歌い続けるのだから。

中間部の始まりである、Fermes tes yeuxから、そこまで低音の平坦な旋律による緊張感を一気に解くように、おおらかにEspressivoに歌って欲しい。

L’heure exquiseは、それまで何度も歌って疲れてしまったせいもあるが、低音を出そうとするあまりに、喉を下げる力ばかりに偏ってしまい、軟口蓋側を上げるようなアーティキュレーションがなくなってしまっていた。
そのことが、上手く響かせられない原因の一つだろう。
だから、この点は本番ではあまり心配はないと思う。
これも、低音発声のあまりに顎を引き過ぎて、下を向かないで、少し上向きに意識してみると、上手く行くかもしれない。
それから、彼女の現在の技術からすると、ピアノのダイナミックが抑え過ぎで、そのあまりに動きがなくなるので、これも歌う面にとってシビアになったようである。
あと1回で最後であり、本番寸前なのであまり細かいことをしたくないが、やれるだけやってみたいと思っている。