KKさん

スケール5度とアルペジョ3度5度の母音アで軽く発声練習。
下は1点Cisから上は2点Aくらいまで。
喉が温まっていないせいもあるが、2点G以上が決まり難い。
見ていると、直ぐに口を横に開いてしまうか、下顎が動くために、響きが逃げてしまう印象であった。

最後にドミソドのアルペジョで、2点F以上の高音にすんなり決める練習を。
ここでもやはり同じ印象であった。
口の開け方を最後の最高音でも変えないようにすることで、中の通路を開くことを開発してほしい。ある種の考え方だけど、彼女の場合は口先を開いてしまうことで喉から軟口蓋への経路が作りにくい、という印象がある。
また、口先を動かさないことで、逆に喉周辺で使う力みを取る事が出来る。
要するに普段使えていない筋肉を使うための、練習だと思って欲しい。

当てる場所を、口よりも上、鼻の上の方、あるいは眉間からおでこ辺りでも良いだろう。
喉を力まない分、呼気を強く素早く送るお腹を使う方に意を注いでみて欲しい。

今日はハイドンのオラトリオ「四季」のアリア17番。
古典アリアらしい、端正な音楽である。
中高音が比較的多く、適度に高音域のメリスマがある。
彼女の声の練習に程よい旋律形態である。

どうも彼女の声、どこか中途半端な印象が拭えなかった。
それなりに歌えるのだけど、なにか色々な要素をつぎはぎして作った印象が拭えないのである。

もちろんこれは一般論ではなく、彼女の中のレベルとして、であって、絶対的にはとてもよく歌えているのだが。

それは、例えば声を出そう、ある程度の高音を出そうとすると、途端に喉が深くなるのだが、そこから更に上に行こうとすると
前述のように口を横に引いて、響きを逃がしてしまう。
かと思うと、全体に横開き気味の口で、なんとなくドイツ語の歌唱を処理している。

要するに、統一した発声の処理が出来ていない印象である。
対処療法的、とでも言おうか。。

また、単に発音、という問題だけではなく、母音の響きをどうやって良い響きにするか?このハイドンのアリアをドイツ語で
ドイツ語らしく綺麗に歌唱処理するか?という発声の問題とも密接に関係あることである。

レッスン最後には、彼女に歌ってもらいながら、側に自分が立って、そっと彼女の下あごを押してみる、あるいは口の両脇をぐっと狭めるように手で押さえてみる。
なんだか猫をあやすような気分になったが(笑)実に上手く行ったのである。
すると不思議なことに、その声は実に深みがありながら、響きが前に出てきてドイツ語らしい、落ち着いた高く響くようになった。

これらのことは、今回に限らず以前から指摘してきたことだと思う。
日本語の感覚とはまったく違う面があるので、素朴に母音の響きをどう出すか?という感覚の核になることであり、また声楽というものを
訓練していく上でとても大切なことであることは、分かって欲しい。
これが全てではないし、これさえ出来れば良い、というものでもない。

今日やったことは、かなり基本的なことであるから、これからこの点を徹底して覚えて欲しいし、訓練していきたいと思う。

FAさん

発声練習、特にハミングに時間をかけた。
口が開かない傾向なので、しばしば口を開けることを指示した。
口を開ける意味は、ただ開ける、下顎を降ろすだけというよりも、口の中の喉を開くこと、同時に軟口蓋を上げることもである。

今までハミングは2点C以下で、胸声区の出し方を意識していたが、これがやや過ぎてきたかもしれない。
上に声区を変換するのがどうしても難しいようである。

どうも逆の意識すなわち低音ほど高く響かせて、上に昇るほど深くしていくようにした方が、声区の融合あるいは、転換が上手く行くかもしれない。実際、ドビュッシーの高音を聞いていたら、今度は高音が締まりすぎて細くなってしまった。これもその辺に関係があるだろう。

そのドビュッシーRomanceである。
彼女には声の扱いと言う意味で、ちょっと難しかった。
高音域が締まってしまい、か細過ぎてしまう。

中低音は音程差の激しいフレーズのために、どっちつかずになり、上手く出せなくなってしまう傾向がある。
高音の問題はオクターブで出す練習をした。

この方法は絶対ではないが、高音の喉の状態を覚えるのには良いだろう。
オクターブを歌う際に、低音をきちっと決めておいて、同じ喉の状態でオクターブ上を出すようにする方法である。
逆に言えば、低音はあまり深くしないで出して、高音は喉の奥深くに移動するように、あたかも逆の方向に行かせる意識である。

最後に前回から始めたシュトラウスのMorgenを。
これも出だしで注意しないと、いつもの声に戻ってしまう。
ブレスを胸に入れないで、すっと低いポジションで出せると中低音域は、上手く行くだろう。
彼女には珍しくリズムの間違いを注意。

後は後半のもっとも美しい部分のフレーズで、高音を息の力で良く伸ばす意識と、ブレスを安易に入れないことである。
これ、煎じ詰めて言えば、歌う気持ち良さ、それを聴いて感じる気持ち良さという共通した気持ちよさの原点は何か?ということ。

歌のある種の気持ちよさの核になる感覚とは、後先考えずに「行っちゃえ!」という情熱のほとばしりである。
実はそういう無垢な情熱が、声楽的な身体や器官を開発もしてくれるのである。
出来ない、と端から思わないことである。
出来るか出来ないか?やってみなければ判らないからである。

ところが、2度3度と通していくうちに、出来るようになったではないか!やれば出来るのである。

単純素朴な快感志向、思い切り、そんなものが演奏の気持ちよさにつながるし、ひいては聴衆にアピールしていくものに繋がる部分もあるのではないだろうか?

初めてこちらに来た時の彼女の歌声の印象は、今でもそのまま続いている。

自分の殻を破る、ということが、こんな些細な音楽処理、肉体的なリスクへの挑戦!の中に鍵があるのかもしれない。