KYさん

久しぶりだった。
母音イで発声を始めた。
いつもの彼女だが、やはり彼女どこか雰囲気が変わったな。。

それはともかく、いつもの彼女の声だが、2点F以上の高音域の力みの取り方が大分分かってきて、無理のない声で2点Aくらいまで行ける様になってきた。
エが一番明るい響きになるので、アでもその時の舌の場所や形を真似して応用できると、更に良くなるだろう。

母音をアにするとちょっと下顎と舌根が力んでしまうが、その力みを軽減できるだけでも大いなる進歩である。

今日は前回以来、大分間が空いてしまったが、退歩はほとんどなかったので良かった。曲は前回と同じく、「椰子の実」「からたちの花」「桐の花」の3曲を歌った。

いずれも、課題は高音の力みだけ。
「椰子の実」は、「ふるさとの岸を離れて~」の「ふ~」のところで、力む。
ウとかイは、高音の声区に入る辺りから、声を当てる場所をなるべく後頭部とか
うなじとか、後ろに引くように、あるいは口から吸い込むような感じで当てると良い当たり具合になる。
それを無理して前にぐいっと押すと、力んで潰れた声が出てしまう。

今日も歌う生徒にはなんの罪もない「椰子の実」のドイツ和声教科書スタイルの伴奏のうんちく(批判ともいう)を散々垂れてから、「からたちの花」の練習に入った。

この曲は声楽家が歌うフレーズを勉強するのに恰好の教科書だと思う。
まず、一見不合理に見える2拍子と3拍子の入れ替わりのスタイル。
これは、言葉のフレーズの間合いを大切にするあまりの書法だと思う。
だから、その間合いを感じられなければ、不自然にしか思えないのかもしれない。

間合いというのは、しみじみ、とか、その間合いで何かをイメージする余裕とでも言うことだろう。
もう一つは間合いの長さの違い(2拍子で終わっているか、3拍子で伸ばしているかの違い)で、次のフレーズを歌い語るの勢いが違ってくるということ。
この曲を歌う意味の力になる、大きな点であると思う。

ただ「白い白い花が」の二つの「白い」に一方はスタッカートテヌートと片方がレガート、という違う指示を付けるのは、少々くどい気がする。歌手に任せれば良いと、私は思うのだが。
「痛いよ」の「た」にテヌート記号を付けるのも語感だから、歌手に任せて欲しいと私は思う。
でも、それらを指定してまでこだわった、作者の思い入れには感心する。
シンプルであるのに、これだけの表現力を持たせた作者の力量はやはり並々ならぬものがある。
もしかすると、この通り歌うととても古臭い、あるいはあくの強い歌唱になるかもしれないけれども、それがこの曲の味わいにつながるのかな、と思った。

さて、やはり後半の「からたちのそばでないたよ」からは、もっと間合いと余裕を持って、この晴れ渡った青空の切ないような哀しいような雰囲気、イメージを大切にして欲しい。
前半はむしろ思い出を楽しく思い出したときのように活き活きと歌い始めたほうが、この後半の切なさ哀しさが活きるのではないだろうか?
力まない軽い頭声の高音は上手くなった。

最後に「桐の花」
こちらは、全体に日本のペンタトニークを上手く使って、女性的な美しい歌曲。
伴奏も控えめでありながら、歌を上手く引き立てるセンスの良いものだ。

全体に上手く歌えるようになった。高音も力みがなく歌えている。
一点だけfのところは、間合いを取ってしっかり当てて欲しい。

出だしのテーマである「桐の花~」というところは、桐の花の明快なイメージと、桐の花を歌って遠く離れて会い見えることのない
愛する人を思う切ない気持ちをよくイメージして歌って欲しい。

声楽もまずは歌である。
技術の難しさを克服するために歌うのではなくて、表現されたことを自分のこととして共有して歌う、という原点はやはり大切にしたいと思う。そこには他者理解が要求されるからである。