KM
今日も話しが長くなってしまったが、面白い話が出来るのも彼女に特有のことではある。
レッスンも歌うだけでなく、色々な話しをすることの中に、発見があるものだ。
音楽、とか芸術とか、なかなか物差しの幅が広く、それがために、評価がはっきりしない因果な職業を選んでしまった、というような話だったろうか。
まだ実質は職業とはいえないかもしれないが、彼女の場合は、ほぼ職業に近いといって良いだろう。
どんな職業でも苦労はあるわけで、その選んだ職業の違いの中に、その人のキャラクターの違いがあるのだろうと、終わってからつらつら思った。目に見えない、数字で図れない、そういうものの中に価値がある、と認める価値観というのも世界中で言われているだけのことはあるわけで、違う価値観、水と油の意見が違う人と比較したり喧嘩しても無駄だと思うよ、と話したか。
Going my wayとか、Hope,Dream,Love and Some moneyとか、なんでもそうだけど、バランス感覚って大事だと思う。
今日は発声練習を20分くらい、みっちりやった。
まずは下の声区の声で、かなり高い所まで持ち上げて出す練習。
下の声区を出すのが直ぐに出ないので、1点Eの更に1オクターブ低いEから始めたくらいである。
それでも、ゆっくり昇っていけば、下の声は、上手く出てくる。
後は、その声をなるべく上まで持ち上げて高音までパンチのある胸声区の声を使えるようになりたい、と思った。
その後、下降形である程度高音まで上がってから、スタッカートで、超高音まで。
以前もそうだったが、彼女はかなりな高音が出るタイプ、それもレッジェロな高音タイプ。
恐らく本質的には強い中音域の喉、というキャラクターではないかもしれない。
が、ある程度出す方法は身体で覚えておいて損はないと思う。
いずれにしても、20分くらい発声をやっていると、顔つきが変わるのが判る。
疲れた顔をしていたが、段々穏やかな顔になって、発声を終わる頃には、見違えるようだ。
やはり歌う効用、以前に声を出すことの効用というものは、あるのだなと実感する。
曲はイタリア古典2巻からIntorno all’idol mio
2箇所くらい間違いを直して、後は好きなように歌ってもらった。
前回も書いたが、譜読みがしっかり出来ると後は放っておいても、いい歌が歌えるので、苦労はない。
歌っている様子を良く観察すると、やはり自然に、無意識に、歌詞を語っている部分が大きい。
ただ、彼女がイタリア語を分かっている、という意味ではない。
だが、明らかにその歌い方は、歌詞を語っているのである。
その辺りが、語感、センスの持ち主の所以だと思う。
後は、アマリッリを通してみた。これも上手い。
最後にバッハ~グノーのアヴェ・マリアを譜読み。
彼女の歌は、以前からいわゆる「声楽」の発声を追及させていないから、クラシックのそれとは
趣が違うが、歌として良いかどうか?というただ一点そのことだけは、保証できるものである。
もし発声のことを追及しだすと、これはこれで大変だ。
良いものも殺してしまいかねない。
この辺りが、声楽の難しさともいえるのかもしれない。