MT

フォーレの「祈りながら」歌詞発音、特にUの母音に拘りたい。
Pour je veux souffrir et mourir sur la croix.このフレーズは、Uと曖昧系母音が交互に出てくるから 日本語カタカナ読みだと同じような浅い響きになってしまう。
特に深いUの母音には注意を。

Au bord de l’eauは、最初、ピアノ伴奏と歌が一緒になって、ビートを打って歌うのでなんだか熱のこもらない歌になってしまった。
確かにテンポを急がないと言ったが、2拍子を常に打つように丁寧に歌うという意味ではなかった。
ピアノに対して歌はモルトレガートで、と指示した意味は、ソルフェージュのように歌わずに、音形によってフレージングを最大限活かして歌おうという意味。
すなわち上向フレーズなら、クレッシェンドするように、平らなフレーズなら歌詞発音で遅れないようにということ。

Arpegeも、最初はビートで歌う感じで、大人しくてどうもピンと来ない感じだった。
もっと色っぽい官能的な音楽である。
ピアノ伴奏でかなり音楽を作ってもらった。
ピアノ伴奏は、一見ノクターン風に感じるが、それよりはもう少し軽快だし、ビート毎のゆらぎではなく、もっと長いフレーズを紡いで欲しいのである。逆に中間部は、大人しくビート単位の方が、柔らかさや落ち着きが出るであろう。
ただ、再現部からは一気呵成にコーダに向けて盛り上がって欲しいのである。
特にオクターブの連打が出てくる特徴的なフレーズは、最後にはシンコペ風になって、

Nellは、テンポ感が良かった。楽譜指示より相当速い、4分音符=80くらいだろうか。
Popな感じでプログラム終わりを締めるに相応しい感じ。
声も調子がよく、気持ちが良かった。
この曲も、だが、MTさんは、やや子音が発声と乖離しているので、もう少し子音→母音発声という繋がりが感じられると良いかな。
子音がきっかけになって、母音が生成されるという点を、もう一度見直して練習で取り上げて欲しい。

HA

発声に関しては、以前に比べると大分高音発声の工夫が感じられるようになった。
喉で押さないで、響き共鳴を作ろうとしているのが判る。

1曲目、Le violetteは、とてもよく歌えているから、後はもっと自由に言葉の抑揚をリズム感に反映させられると良い。
そのことで、特に高音の響きが意識して出せるようになるだろう。
要するに、歌われる歌詞がテンポや音符のリズムだけにとらわれてしまうから、母音の響きを出せずに、先に進んでしまうという感じ。
もっと自由に、母音のアクセントや響きを出すために、音符のリズムをデフォルメしても良いのではないかな。
それから、Rugiadose のRuは深いウの母音。

Panis angelicusは、小さなことだが、Paからniに行くためには、開いたアと言う母音から、いかに響きを変えないで
イという母音に変化させるか?という発声の問題がトピックだった。要するにレガート唱法の第一歩のことだが
見方を変えれば、いかに日本語発音から脱却するか?という捉え方も出来るであろう。これは彼女の弁である。
イの母音は気をつけないと、喉を締めて、狭い発音をしてしまうことも、注意。

LuzziのAve Mariaは、声のことよりピアノ伴奏のことになった。前奏の音楽と伴奏のテンポ。
前奏は歌手が歌う感情を盛り上げる役だから、とても大切だ。
8分音符の和音の連打は、歌いだしたら、ベルトコンベアの流れるように、前進することが大切で、ビートを出し過ぎないように。
要はフレージングをするように、和音の響きを繋いで行くように、といったところだろうか。

最後のAmenは、やはりAよりもmenのエの母音が響きが落ちやすいので注意を。
この場合は、最初のAの母音の響きを変えないためにも、エをあまりはっきり出さないように、アに近くすべきであろう。

SM

ドビュッシーの2つのロマンスの1曲目、出だしの低音の発声は、かなり繰り返して練習をした。
歌の発声はイコール身体感覚だから、必ずどこをどうするということを掴み取る癖を持って、注意を向けて欲しい。
低音域は、顎を出さないでしっかり喉を押さえつけておいて、軟口蓋を上げることで響きを上に導く、と言う発声が自分で意識して出来るかどうか?である。

2つのRomanceの1曲目の冒頭の低音が一番難しく、しかもこれが1曲目だから、相当大事にして欲しいのである。
それから、「麦の花」の出だしは、慌てて出ないように、充分準備をしておくことと、ピアノのリズムに惑わされて、テンポが速くならないように。
「放蕩息子」は、とても良く歌えるようになった。声も良く出て迫力が感じられるし、テンポ感もじっくり取り組んでいて、スケールの大きい歌になっている。カンタータアリアらしい出来栄えである。
発音は、最後の最後まで、正確さと丁寧さを忘れないように。また、苦手なFの発音は、これも最後まで諦めずに、出すように努力をお願いしたい。

モーツアルトの二重唱は、やはりコジ・ファン・トゥッテのドラベラのパートが難しい。
大きな声を出してしまうこと、自分の声のことで精一杯になって、音程感覚、和音感覚がなくなってしまうようである。
これは相当厳しく何度も練習したが、結果的に出来るようになった。

一番大事なことは、音符一つ一つをゆっくりと、丁寧に音をはめて行くことであった。
音楽のリズムから離れて、一つ一つをモザイク模様を、一からはめて行くように、音を取り直すことである。

このテンポから一旦離れる、という行為がなかなか難しいのだが、これを避けていると、いつまで経っても基本的なものが
身に付かない、上辺だけで何となく処理して終わりになってしまうのである。
一番面倒くさい、骨の折れることを、もう一度きっちりやり直すこと。
急がば回れ!を思い起こして、練習して欲しい。
これは、この二重唱に限らず、ソロの曲でも課題は同じことであるから。
それは、リズムの骨組みをしっかり身体に刻み込むことによって、本当の身体からの声を作るという意味にも大切だからである。

TT

Olympiaのchansonは、前回に比べて最高音がしっかり出ていて気持ちが良かった。
だが、ところどころ声の響きが痩せていて気になった。
本人はPやPPを表現していたらしい。
これが、難しい問題だが、今はあまり抑制しなくて良い、と指示した。
なぜなら、声の響き全体のバランスだからである。

劇場型の音楽、と限定して、あまり細かいニュアンスで聞かせようとしないで、旋律をきっちり歌いこむだけで充分である。
細かいことはピアニストがやってくれるだろう。

PとかPPとか、メッザヴォーチェというのは、単に声を小さくするのではなく、声質の違い、と捉えたほうが良いだろう。
すなわち、呼気の力、声を出す力は、Fと同じくらい必要だ、と思って欲しい。
もちろん、常に頑張って出すという意味ではなく、必要以上に抑える必要はないと解釈して頂きたい。

モーツアルト「夕べの想い」は、全体にその雰囲気を良く出せて、歌唱力も充分。良い仕上がりである。
強いて言えば、低音域だけ押さない発声なのだが、逆にもう少し響きが感じられる声になると良い。
これは多分、低音域の鼻腔共鳴の発声の開発を待ちたい。
後は、語尾のEが抜けたような処理に感じられることが、時折気になった。
これは以前からだが、少し注意すれば良くなる。細かいことだが、細部も大切に。

MM

今回、特に変わったことはしていないが、特記することは、いつも指摘することになる、発声時の下顎の動きの抑制と上顎を上げることであろうか。
下あごでなければ、喉を深くしてしまう癖であろう。
下顎の抑制は、単に発音で動かさないということではなく、歌う姿勢として顎が前に出た姿勢を絶対に取らないことがとても大切である。

どうしてもHahnのJe me souviensで時間をかけてしまうが、この曲は、余ほど気をつけないと、本来持っている曲の表現と関係のない
野太い声が出てしまうのが、とても気になるのである。

中音域、彼女の場合2点C~Eで声の段差が気になる、あるいは声がひっくり返るような現象が気になるということが前述の声を太くしてしまうことと関係があるらしい。
これは喉で深くするのではなく、顎を良く引くことで喉が保持されるから、姿勢さえ保っていれば良いはずである。

後は、単なるイメージというか癖であろうか。深くしないと、浅い響きで良くない、と無意識で思ってしまわないだろうか?
というのも、最後にリストのO liebを、わざと喉を浅くして喉で歌う感じでビブラートを付けないで、と指示したら、これが
不思議なくらい、喉を深くする弊害の無い、すっきりした声で良かったからである。

ただ、基本はいつも必死に教えている、適度に声帯が開いた響き、息をミックスした響きである。
この発声を覚えないと、綺麗なビブラートが出てこないだろう。
また、本当にしっかりした声は、この基本の発声を覚えないと、厚みのある響きも出てこないのである。

ただ、現在の舌根で喉を深くする癖を取るためには、非常に有効であると感じたのである。