GH
発声の声は大変調子が良く、下手に高音をやり過ぎると調子を崩す、と判断してあえてやらなかった。
ただ、歌に入ると、やはり声のポイントの高さが気になった。
イタリア古典のアマリッリからだったが、一通り歌ってみると、喉が高いのか縮緬状態のビブラートが微妙にかかってしまっていた。
響きを高く、とか、深くブレスを、とか、結局一人で練習すると、とんでもない勘違いを招きかねない可能性がある発声は難しい。
今日は一点だけ絞って説明した。
それは、概ね高音ほど喉を深く、逆に低音ほど頭で響かせるように、ということである。
そして、その基準点を、ト音記号であれば、2点Cの上下に分けると良い。
男性の実音であれば、1点Cの上下、ということになる。
ここで、喉を深く、とか頭で、ということまで詳細に書き出す(言い出す)と、これも混乱するので、敢えて言わなかった。
ただ、この2点を単純に意識するだけで、彼の場合は不安定な発声が安定する、というメリットがある。
要するに、声の支え、拠り所が出来るからであろう。
アマリッリのテンポの変化は良く出来ている。後は上述の声の扱いさえ、上手く出来れば素晴らしい結果となるだろう。
シューベルト「冬の旅」から「道標」
声はとても明るく、明快な声で歌えるようになったのが先ずは良かった。ドイツ語の発音は元々良いが、子音の明快さが際立っている。
音楽的には、1曲目ピアノ伴奏が良く言えば丁寧、悪く言うと、考え過ぎ、みたいな印象があって、気になった。
ピアノ音楽はもっと無機質に、機械的に弾いた方が、特にベースの連打音などは、かえってポエムが出てくるものである。
こういう連打音の一音一音を丁寧に弾いてしまうと、何か意味があるかのような印象を与えてしまう。
むしろぶっきらぼうに、全体を弾きとおすくらいの骨太さが欲しい。
その方が若い青年の挫折感と、その背景にある19世紀北ヨーロッパの暗さみたいな表現が活きてくるであろう。
「おやすみ」こちらは、曲集の始まりに相応しい音楽なので、むしろロマンティックに大仰に前奏を弾いて頂きたい。
そのことで、声も背中を押されて、迫力ある歌になるだろう。
最後の節はPPとなるが、その意味を良く考えて、単に小さくなるだけではなく、眠る者の背中に向ける眼差しみたいな
ものが、歌もピアノにも感じられると素晴らしい。
FT
発表会の曲を伴奏付きでレッスンだった。
新曲のトスティVorrei morirは、良く譜読みが出来ていた。
声の扱いも無理が無く、彼なりの工夫の跡が伺えた。
同じく、A seraは、以前に勉強したことがあるが、テンポ設定でかなり声が変わるので
テンポを探した。ピアノが早いと歌が重いし、テンポをすこしゆったりすると、歌の乗りが悪くなる。
声のことを考えると、あまりゆったりしないで、さっさと進む方が良さそうである。
歌い過ぎて、喉に負担になるからである。
最後に歌ったカンツォーネ、Tu canun chiagneを歌う頃には喉も疲れてきたせいか、高音域に
少しほころびが出るように感じられた。といっても、1点Gなのだが、気持ちが入ると、喉で押してしまうのである。
で、そのための要点は、ブレスで声のポジションを変えないことである。
彼はこういうと恐らく勘違いしているのだと思うが、喉は自由にしないのである。
喉を上げてしまうから、高音が出なくなるのであって。
腹から声を出す、という感覚が、彼の高音発声においては、声帯を閉じてしっかり喉で声を出してしまうから、これはひとたまりもない。
腹から声を出すという声のことよりも、ブレス自体をしっかり腹で支えて喉の発声の状態を、ブレスで落とさないように気をつけることである。
必要以上に出そうとしても、喉に負担になって出せなくなるのは、どんなに訓練してもいつまで経っても変わらないから、この感覚も変えないと、高音は出せるようにならないだろう。
気を抜いて歌うのではなく、冷静に歌う感覚、といっても良いだろう。
歌の醍醐味に任せて高音が思い通りに出れば良いのだが、なかなか身体がついてくれないのものだ。
特に高音のフレーズがせっかく上手く行ってるのに、その次のブレスで落としてしまうと、次のフレーズは大概喉で押してしまう結果になるのである。
SY
発声練習の声は、前回とは打って変わって調子が良かった。
喉も温まっていて、出にくい、という印象がなかった。
彼女も発声を見ていると、体つきが硬く、身体を動かさせてみると、思うように動かないタイプである。
筋力はともかく、身体の節々の柔らかさは、大切だと思う。
それから、腹筋や背筋も、人並みくらいにはあって欲しいとも思うが、無理の無い範囲ですこし鍛えても良いだろう。
フォーレの歌曲「蝶と花」から。
懸案の歌詞の発音がつかえる3番は、かなりスムーズになった。
彼女の場合、苦手と思う発音そのものよりも、その前後にある子音の影響で、その課題の部分が使える可能性が高い。
特にRが出てくると、それに気を取られて、肝心なところが飛んでしまったり、間違ってしまうようである。
こういうケースの場合、Rであることが幸いしているのは、Rの発音は適当に流しておけば、目的の子音は軽快につかえることなく発音できるケースが多い。
発音のコツとしては、単語の中あるいは言葉のフレーズの中でも、適当に流す所と大切に扱う所とを自然に区別出来るようになると、格段に上手になる。聞いていて、その単語が判別できるように「聞こえれば」良いのであって、正確に寸分違わずに発音しなければならない、と学問的に考える必要は、少なくともプレイヤーはないと考える。
「夢の後に」は、ブレスも長くなったし、声も充実感があって、言うことが無い。
後は伴奏合わせで、どのように作り上げていくか?という点だけである。
「イブの唄」Eau vivanteは、一部、どうもぎこちないところがる、と思ったら発音が苦手な箇所があったのだった。
それが前述の問題であることは、発音練習だけをしてみれば明らかであった。
特にこの場合はRの発音だったので、Rの発音をほとんど捨ててやってみると、驚くほどすっきりとスムーズに発音、発声出来ていた。
Comme dieux rayonne aujourd’huiは、高音が少し締まり気味だが、声は調子よく出せていたので、うるさく言わなかった。
勢いも大切なので、細かいことは云わないで気持ちを乗せてもらえれば、歌としては先ずは大成功と云えるであろう。
AC
正月休み明けであるが、発声の声が少し元気が無かった。
いつもそうだが、声の温まりが遅い、と感じられたが、身体も硬いように思えたので
少し肩から胸を楽にして発声出来るように、上半身を左右にぶらんぶらんと揺すりながら
発声してもらった。
声を出すと、たちどころにゆすりが小さくなる。
これを小さくならないようにすると、面白いくらい声が出るようになってくる。
要するに何か発声の小さな事に拘って、声を出す活力までも失ってしまうように思われた。
フォーレの5つのベニスの歌曲、Mandolineから。
上手に歌えているが、最初に出てくるChanteuseの後半メリスマに話題が及んだ。
ここでもそうだが、口の開け方を歌いながら工夫できるだけで、喉はリラックスするし、
実際喉は開いていけるようになる。
ChantのTの子音をきっかけに、軟口蓋を更に開いてそこに呼気を送るようにして
メリスマを敷衍して行けると上手く行くだろう。
Greenは、子音の扱いに及んだ。
子音が出にくいのは、唇もあるし舌もある。
舌根が硬いと舌も動き難いから、必然的に子音も出にくいであろう。
出せば良いというものでもないのだが、正しい出方が出来るだけで、美しい歌になる面も多々あるし、良い子音発音が出来ることが、母音発声の要にもなるのである。
だから、彼女の場合子音は発音の問題とか、明瞭な発音、というだけではなく、母音の響きにも影響する大きなことではないか?と思う。
理屈を言っていても始まらないので、とにかく一所懸命意識して出してもらうことから始める。
F,T,D,S,L,M,Nなど。
一所懸命発音すると、音楽が遅くなる。その分、扱いを素早くしなければならない。
などなど、これらは習うより馴れろ、であり、訓練を積まなければならないので、いつも忘れずに実行するのみである。
C’est l’extaseも、ほぼ発音、特に子音発音のことだったろうか。
Nなどもあいまいにならないように。NやLが曖昧になると、全体に曖昧な明快さのない印象が強くなる。
どんな曲でも明快であること、を忘れずに歌って欲しい。