TT

発声練習では、声の出し始めの喉と身体の重心を低くリラックスさせる練習をした。
目的は身体をリラックスすることで喉(喉頭)の脱力を少しでも出来るようにすることにある。
そのことで呼気が勢いがついて、自然に声量のある声になるだろう。
中低音は響きが太くなり、結果的に高音は喉が締まらなくなる。
喉が締まるのは喉が緊張するからである。
緊張の反対は弛緩だから、脱力を心がけるわけ。
脱力(リラックス)には、重心を低くする意識、イメージがとても大切である。

イメージトレーニングになるが、大きな風船、ある程度の重さがある大きな風船を両手で7時20分くらいの角度で持つイメージ。
空想上の持ち重みを感じて、足のひざもゆるゆるに腰の重心を落として、低音から発声を始める。
そうすると、脱力しているから非常に楽に声量のある声になる。
中低音を豊かに響かせるには実質的だし、ある程度くらいまで、例えば2点bくらいまでであれば、高音も太く力強く出すことが出来るきっかけになる。

ただ、この方法は頭声発声とは直接関係はなく、声はしっかり出るが響きがこもる場合がある。
あくまで、根本的な喉のリラックスと、そのことによって得られる呼気の勢いという面で捉えて欲しい。

結果的に、モーツアルトのAllelujaはとても声量と勢いのある歌になった。
ただ、この曲の表現自体は声量や声の勢いで聞かせるというよりは、声の明るさや和やかさとか、メリスマの気持ちの良い軽やかな転がり方が大切だと思う。

メリスマそのものは声を重くしないで、息を良く使って上顎から上で息で廻すように歌うと、楽に軽やかに転がると思う。
そのためには、よく合った声帯というイメージよりは、息で共鳴を作れる口の形、喉の開きの状態、軟口蓋の上がり具合で最良のポイントを見つけて共鳴するポイントを見つけたい。

お腹を使いすぎると、息で細やかにコントロールしにくいので注意して欲しい。
呼気の意識は、あくまで喉から上だけで大丈夫だと思う。喉が上がってしまうと駄目だが、喉が上がらないで絞まらなければ
逆にお腹を意識しすぎて大きく送ってしまうと、細かく転がすことは難しくなるであろう。

グノーの「ファウスト」からJe veux vivre
フランス語の中低音域の発音がやや暗くぎこちない。
この曲では中低音は、声の明るさを大切に。
もちろん、口先で明るくするのではなく、お腹からのしっかりした声を持った上での明るさを。

冒頭の連続するAhは、笑い声である。
マルカートになっているから、はっきり切って、昇ったら後はさっさと降りて良いと思う。最後だけはRitを忘れないように。
基本的にはノンブレスだと思うが(笑う演技のリアリズムいう理屈では)上る前に入れても良いだろう。
ただ、オクターブ昇るその低音の前で入れてからのほうが良いと思う。
それから、下顎をがくがくさせないことも響きを上に作るのに役立つであろう。

最後の高音の3点Cを何度も何度も練習したが、声帯は横に開けばどちからといえば合うし、縦に開けば開くだろう。
縦に開く練習をして、縦に開くことの対処で、響きに違いが出てくるかどうか?上手い具合に共鳴が付くと良い。
ただ、この縦にという場合は、下顎を降ろす意味よりも、上顎や上唇を上に開ける意識だけで良いだろう。
下顎を踏ん張りすぎると、喉が下がりすぎて高音が出しづらくなるかもしれないので。
この辺りは厳しいが練習を重ねるしか、見つけられないので、喉を壊さない範囲で捜してみたい。

HN

彼女にも重心を低く、喉を深く、を教えたが、まだ少し難しいかもしれない。
だが、高音の発声は今日は有効だったと思う。
身体の重心を低くすること、喉をリラックスさせることは同じで、やり方は上のTTさんに書いてあるので省略。

彼女の場合、とにかく歌う身体使いがとても硬くなる傾向が強いため、他の問題、たとえば音程とか声質とか派生する問題がいろいろあったとしても、とにかく喉を絞めないように声を出せるようにすること、が何よりの先決であると思われた。
それは特に2点Eくらいから上の高音の声区で、である。

今日上手く行ったことは、力まないでこの曲の高音域を歌えるようになってきたことである。
ただ、力まないだけであれば声が裏返って支えのないファルセットになるだけである。
2点Eくらいから徐々に声が変わるわけだが、イメージとして喉の奥に意識を持って行って、喉の奥底からぽ~んと適度な力で声を放り上げる感覚を忘れないで欲しい。

上唇とか上顎で響きを作ろうとか、共鳴を出そうとして上顎に意識を持っていくと、逆に喉が絞まるか喉の支えがなくなってコントロール出来ない喉になるように思われた。
彼女が意識しているこの方法自体は間違ってはいないのだが、喉の締まり、硬さが先に出てしまう現状では、あまり効果的ではないと思えた。
先ずは、喉そのものに意識を持っていくことで、逆に喉の力みから開放されるように思われる。

このところ続けてやっている、ヘンデルのLascia ch’io pianga

まずレシタティーヴォは、今度は少し早過ぎた。前回のテンポ訂正は、言葉の抑揚がないことが因である。
早くか遅くかだけども、イタリア語を語り進む速さを、という意味なので、無闇にさっさかやるという意味ではないことを理解して欲しい。

アリア部分は、中低音の充実と高音のリラックス、である。
高音は、冒頭に書いた発声のテクニックを練習したのだが、結果的には力まないことが一番である。
恐らく感覚的に、これで声が通るだろうか?と思うのだろう。
高音は自然に出していても、高いから無理なく通るのである。
それに比べれば、中低音は少し意識して出すほうが良い声が生まれやすそうである。
そうやって、中低音~高音にかけての声は、バランスが取れて、歌として聞きやすいバランスの良い音楽になる。

Caro mio benは、その点で無理がないのだが、更に歌声の滑らかさとピッチの良さを目指したい。
声を出そうとするだけだと、音程が微妙に♭になって、それが音楽に影響する。
出だしのCaroの響きの音程を明るく高いものにしたい。

そして降りて行く中低音は豊かな響きを大切に。
後半の再現部は、ブレスが長いがブレス自体をしっかり意識することと、無駄使いしないこと、くらいしか言えない。
現時点では声の響きが未完成なので、息が足りなくて当然で、ひたすら馴れることであると思う。