半年以上ぶりであろうか。久しぶりだった。
体調を悪くされていたが、復活されて何よりである。

声も問題なく、むしろ高音は力みが無い分、音程が良いし、以前のすかってしまう癖がなくなっていた。
相変わらずのナイーブで綺麗な歌声だった。

武満徹の歌から「ぽつねん」と「死んだ男の残したものは」を練習した。
どれも声楽的な問題はなく、ユニークな谷川俊太郎の詩を思いをこめて歌えていた。
ネーティブ言語による歌は、それでしか出せない歌の原点が感じられて素晴らしい。
この2曲は、ユーモアと愛惜の対照が快いプログラムである。
後は、フィガロの結婚から「伯爵」の二重唱を練習した。
これも、役柄の気分が良く乗った歌になっていた。声域も丁度良い感じである。
あまりテンポを早くしないほうが、演技は出来るであろう。
伯爵らしい好色さが声に出せると素晴らしい。

恐らく半年以上、まともに歌っていないのだが、錆付くどころか、かえって瑞々しい新鮮さに満ちた声であった。
これは、良い休暇だった、と思って、これからまた復活して歌えるようになって頂きたいものである。
今日は、レッスンといっても、久しぶりの歌声復活なので、細かい指示や指導といったことは、敢えてせずにひたすら歌ってもらっただけである。
先ずは体調が本調子になることであろう。

SY

発声練習は、特にトピックも作らず喉を暖める程度に。
曲はドビュッシーのBeau soirから。
これは、最後に再度取り上げた。
この曲を歌われる皆さん、概ねそうであるが、伴奏形の3連符と歌の8分音符が綺麗に噛みあわず、歌が伴奏に流されてしまって、フレーズが短くなってしまう。
下の3連符に対して、通常の3拍子の刻みになる歌の8分音符は、むしろ2連符のような扱いに感じると噛み合うはずである。
伴奏形をゆったり3連符で大きく弾くと、これまた意外とフレーズが長いから、ブレスも覚悟して入れないと、到底足りないことになる。
声はとても良い。

Mandolineは、譜読み練習の範囲である。
発音は問題ない。
テンポが速いので、発音に注意。
イタリアのコメディア・デ・ラルテの劇中人物の名前が出てくるが、これは固有の読み方に注意。
リズムも、細かく書いてあるLeur elegance leur joieに注意!
本人が難しい、という割には、よく読めている。
これをやりながら、彼女の声はプーランクも行けそうで面白そうだな、と感じた。

フォーレはL’absentを。
声もこなれてきて、この曲の良さが充分出ている。
フォーレの旋律のほうが、彼女の感性には合っているのだろう。
声も良く出ている。

これから気をつけてもらいたいことは、声として、もう少し低音を良く喉を開いてキャラクターが欲しいし
高音域も、喉を締めないように。何となく安直に出さないで、常に喉に頼らない、喉を開いた発声を意識してもらいたい。

最後に再度Beau soirを取り上げて練習した。
やはり、伴奏形の3連符と歌の8分音符の関係である。
急がないで、8分の6拍子でいう2連符の感じにして歌うと、丁度良くなるのである。

AC

発声練習では、喉を開く程度をもう少し意識すること、をやった。
特に低音域は、メゾらしい声を作る意識で、深い声を意識して練習してみた。
悪い力みではなく、低音の声の共鳴ポイントを作る意味である。

曲はデュパルクの「旅への誘い」から。
こでも低音が弱いので、喉を良く開いて低音なりの共鳴のある声を練習した。
特に難しいことではなく、声を出す際に低音らしい声の響きになるような、口の開き方、喉の深さを
意識してみることである。
そうすると、概ねそうなるが、音程が低めになる、あるいは暗い声になるので、その点を軟口蓋で調節するのである。

ドビュッシーの「噴水」を練習した。
譜読みはほぼ完了。フランス語も読めている。
耳から聴いて歌声にする譜読み回路であっても、この手の歌曲の旋律がそれほどの苦労も無くすんなり入るのは、なかなかである。
フランス物が合っている、というよりは、近現代の音に対する免疫が出来ているのだろう。
ところどころフランス語は直した程度にして、2回ばかり通してみた。

この曲は、構成がシンプルだが長く、音楽的なニュアンス、特に伴奏のニュアンスで歌が自然に変わるので、譜読みが出来たら
あとは、伴奏の力が大きくなると思う。
声としては、冒頭のところは、ビブラートをなるべくつけないで、つけないことで出来るニュアンスを大切に歌って欲しい。
そして、次ページの伴奏形が変わってから、歌は進んで行く感じとなる。
その後は、伴奏との兼ね合いでテンポ設定を、節毎に変化させていくと良いだろう。

彼女も、高音あるいは中高音の発声で、はっきりと喉を開いて、ポジションの高くない開いた声を目標にしてもらいたい。
それだけで、一連の歌曲なども、ピアノの和音に乗る良い音程感を持った発声になるであろう。
そのことだけで、歌声の表現力が倍加するからである。