HA
発声練習では、2点G以上は口を大きく開けないで、上顎だけで響きを出すような細い高音を練習した。
口を開けることで、力んでしまい、結果的に喉は締まった声になってしまうようである。
開けないことで喉が開くし、上も開くので、今は強い声にはならないが、高音の押さない響きは作れるだろう。
それが出来た上で、太いしっかりした高音はどうやって出すか、ということを身に付けて行けば良いと思う。
曲はヘンデルのAh mio corから。
和声的短音階というやつで、上向と下降で音程が変わるタイプ。
これの譜読みが意外と難しかった。
ちょっとした音程の変化に注意。特に変化音。
次にアーンのA Chloris
これも初めてで譜読みとなった。
フランス語の発音で注意することはZの発音。
特にTes yeuxの「ズィ」である。これを絶対に「ジ」とならないように。
またジューと発音しないように。ズィユーとなる違いを気を付けて。
この発音は多く出てくるので、今のうちに徹底して欲しい。
WH
ドニゼッティLa zingarraから。
落ち着いて、綺麗に歌えていた。
特に練習したことは、後半のMajorになってからだったろうか?
前半のジプシーなイメージに対し、一転して清廉なイメージの色気。
上昇フレーズは、ずり上げないでなるべく一発で上がるように。
音程跳躍時の癖になりかかっているようであった。
ベッリーニL’abbandonoから。
これも、声そのものよりも、上述の高音に昇る時、特に音程差がある時にずり上げが多用される傾向がある。
絶対いけない訳ではないのだが、基本としてはずり上げないで歌えることも身に付けておくこと、であろう。
声のために、ずり上げが有効な場合もあるのだが、それを使うとしても、ずり上げているのを他人が聴いても
ほとんど判らないように騙すテクニックも欲しいところである。
次がDondelieta。これから練習だと中途半端な感じになりそうなので、中止にした。
広いところで歌うときに取っておきたい。
結局、Addio del passatoをやることにして、一回通した。
最後のTutto finiのiの長く引っ張る高音を、もっとPPの綺麗なメッザヴォーチェにしたい。
多分、喉を開こうと意識しすぎるのではないだろうか?
完全なファルセットを見つけて、そこから響きを付けて行く方法を練習して見たい。
ファルセットは、ハミングで音程が出せれば、そこから母音にすれば良い。
あるいは、FiniのNの子音を取って練習してみても良いだろう。
TK
今日は、バッハのカンタータ4番を譜読み、練習をした。
バッハの作品は、特に伴奏において、いい加減に手抜奏法をする余地がまったくなく、こちら泣きたくなるほど難しい(;;)
声としてはNr44カンタータのアリア、が一番バランスが良く、音楽の美しさが表現出来ていた。
高音に修飾を交えて上がる、フレーズが個性的で、
強いて言えば、後は歌詞のフレーズの言葉としての立体感が出てくれば、完璧だろう。
言葉としての立体感とは、言葉を朗読する抑揚が、歌の中にも表現されていること。
と、書くと難しそうだが、歌詞のフレーズを一息で語って、その語る調子を歌う中でも出せるかどうか?ということである。
聴いていると、良い声で綺麗に歌えていても、譜面の音符だけが見えてくるように歌ってしまうことがある。
そういう時に、音符ではなく歌詞が見えてくるように歌えるかどうか?という違いであって、決してレガート歌唱をないがしろに、子音を良く出して、とかいう話ではない。
練習としてはNr72のカンタータアリアを譜読みをした。これがなかなかの難物で、苦労しそうである。
音域が彼女にはやや低く、単純な音楽なので、余計に歌いこみが必要なのだろう。
声と旋律だけで聞かせられないので、表現力が問われてしまうのだと思う。
ところで、発声では低音の共鳴ポイントを意識してもらうべく、声のポジションを下げて、下顎も充分降ろして発声をしてみた。
喉自体が変わるわけではないから、劇的に低音の声量が出ることはあり得ないのだが、それでも響きが出てくるようである。
MM
今日は、彼女の声の方向性を決められたレッスンになった。
このところ、どうも定まらなかったが、やはり彼女の声は深みのある太い声の方が魅力的だし、彼女本来の声のつぼにはまっている、と確信をした。彼女の自然である、ということだ。
いわゆるソプラノ的な声、ということは口先で工夫すれば出来るが、それはお腹からの声にはなっていない。
だから、結果的に喉で歌っているだけなので、むしろ高音が辛くなってしまうと思う。
完全にチェンジする領域までは、なるべく喉のポジションを上げない(楽にしない)で、深いブレスでアタックすること。
そこから歌ってチェンジをまたぐ時は、口の開け方の工夫でチェンジするようにする練習をした。
そのほうが彼女の場合は高音側の声が良いのだ。
逆のやり方もあるが、そうすると彼女の場合は高音側が力んでしまうようである。
これがなかなか調子が良く、モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス、イドメネオのアリア共に調子が良かった。
イドメネオは、レシタティーヴォがこのアリアのドラマが感じられないので、歌う素早さとか明快な発音など、練習。
発声もあるが、ドラマを良く感じてそのまま表現しようとするところ、が先ずは大切ではないだろうか?
最後に「うぬぼれ鏡」は、今までで最高の出来だった。特に最後の高音が綺麗に決まって良かった。
また、喉のポジションが低くなったせいで、今まで感じていた、どこか嘘っぽさみたいなものが、リアルになった。
それは実質、歌詞が良く聞き取れる歌声になった、という面でもメリットがあった。
不思議なものである。嘘っぽいなら嘘っぽいで、これまたヴァラエティーとして成立する面があるのも、この曲の不思議なところ、である。