こんにちは。 良く勉強されているようですね。頑張って下さい。 その表現が貧相になってしまう、という判断はご自身でされたのですか?それとも先生に言われたのですか? 私は思うのですが声とか歌の表現力というのは、解釈や歌詞の読み込み理解だけでどうにでもなるほど簡単ではないということです。 コツというのはないのです。 良く役柄の解釈や歌詞の解釈を流暢に喋ったり書いたりしている人をみかけますが、だからといって良い歌かどうか?人を感動に導く歌が歌えているか?といいますと必ずしも一致しません。それは私の経験上思うわけです。 単純にオペラは声、歌による舞台芸術であって、どんなに良い解釈で歌ったのだ、としても聞こえない声だったり肝心の高音が決まらないと一般的には説得力がないですね。これはプロとしての客観的な評価基準の話です。 それでも、その人が努力していることを知っていたりすると、感動できてしまったりもしますね。でも本当の努力ってなかなか他人には判断できませんよね。 事ほど左様に演奏の良し悪しと言うのは主観的でもあります。 しかし、それにしても前述の客観的な評価基準のラインと言うのは厳然としてあるわけです。 ですから、まだお若いようですし、声の練磨を更に続けること、そしてひたすら歌いこむことと経験を積み重ねることしかないのです。 そしてそれとは別に、歌詞の解釈や演技そのものの努力も勿論行ってください。 オペラを作曲した人の国の文化、背景、歴史、そして台本作家の台本の背景、作家の背景、作曲家の意図したところ、それらを勉強した上で、今度は台本の全体の構成、役柄、それらを綿密に調べ上げて 全体像を必ずつかむことです。 その上で歌うアリアの歌詞がその中でどういう場所にあるのか? が良く分かるでしょう。基本的なことはそういうことをやることにあります。 そのことで、音楽理解の深さに磨きがかかるでしょう。 台本の理解、歌詞の理解、深い読み込みによって音楽の別の姿が 浮き彫りにされてくるでしょう。 そのことで、間接的に歌う気持ちに違うイメージが与えられることで声を扱う魂の部分が変わってくるわけでしょう。 ただ、変わりたくても喉が言うことを利かないということもあるわけです。 技術とイメージというのは二元論的にはなかなか分けられません。 自分の貧しい経験からいうと、声の技術に磨きがかかることで表現力が増すような気がします。 あるいは歌いながら自然に表現のイメージが増すという感じでしょうか。 また、色々な人生ドラマを若いうちから一気に経験できるわけではないですし、そんなことをしていたら身が持ちません。笑 ドラマの本当の意味や感情の引き出しを持つには自然な経験で培うしかありません。それ以上の無理をしても背伸びしているだけで決して地に足の着いた芸とは言えないでしょう。 地に足の着いた演技というのは、あくまでも自分というものを良く分かった上で、自分だったらどう表現するだろうか?というように自分の持っているものを調べ上げて役柄を自分側に引きずり込むことだ、と私は思っています。 ただ、プロでやっていく以上、恥ずかしいという言い訳をしてはいけません。恥ずかしくてもなんでもやれるだけのことはしましょう。 私も演技の勉強と言われるものや朗読などの勉強は、 どれだけ恥ずかしくて嫌だったか分かりません。 やれるだけやってどんどん失敗してください。 その中からこそ将来につながる大切な財産を得ることが出来ると思います。