発声に関する年頭所感です。

いろいろな人を長年見てきて、あるいは自分の発声も振り返ってみて、最近思ったことを書いてみます。

自分が良い感じで歌えていることが最善とは限らないこと。
良い感触と思っても、実はまずいことになっているケースもあるのです。

特に口の開け方は様々な発声に関連する筋肉に関係することが多いです。

喉頭を支持している筋群。
これは、単純に口を開けないから上手く行くわけでもないし、口を開けすぎても駄目だし、実に複雑な働きをします。

口を一所懸命開けられるように練習しないといけない人は多いのです。
歌いながらあごを自由に動かせないのは、あごや発声に関連する筋群が固まっているからであり、その悪癖を取るためには、もっと柔軟にあごを動かせないといけないです。

発声の世界でイタリア語で言われるアペルトは?コペルトがどう?キューゾは?というような話以前の段階のことがたくさんあります。

良い発声に関連するこれらの筋群の働き方は、実に個別性が大きく影響しているのです。

そういうことに対する判断と練習方法については、結局知識ではなくて、1人1人の声を聞いて適切な判断を下すトレーナーの力量が問われてくるわけです。

上手く行かないから駄目な発声練習法。上手く行くから良い練習法という具合に簡単に判断できないのです。

良薬口に苦し、と言う言葉もあります。
自分に合っている=自分が楽である、だけで即断せずに、常にトレーナーの意見を摺り合わせて道を進んでいただきたいです。

ところで、ここで私が言っているレベルは、基礎が未完成であったり、長年の悪癖で困っている人のレベルの話です。

ある程度の基礎が出来、オペラアリアもレパートリーがありコンサートもある程度こなしているレベルの人は、レッスンだけに頼らないで本番を重ねる中で成長できることは大いにあると思います。

私は何も完璧を望むものではありません。
私自身がまったく完璧ではないです。

楽器と違って人間の声と言うものは、ある程度のアバウさがあって当然だと思います。

ただ、それはその人の成長の具合もあると思います。
特に初心者の方は、最初が肝心です。
最初にきちっと学ばないと、悪い癖がついて後々苦労することになります。

歌心は大切ですが、歌心だけで全てがどうにかなるほど簡単ではないのも声楽です。
身体を楽器にして美しい歌を歌えるようになる喜びは何物にも代えがたい喜びですが、そのためには初期の発声法の会得はとても重要なことです。