声楽の歌声というのは、Pops好きな者にとっては実に独得に感じられるものです。
一言で言えば人間的な魅力に欠ける、というと言い過ぎでしょうか?
私はそう感じていた時期がありました。
しかし、逆に見れば人間離れした良さ、というか今風に言えばシュールですか?(笑)
理由は2つあります。
一つはクラシック音楽好きだった父親がレコードで聴いていたバッハのカンタータから流れて来る歌声の質です。
いかにも外人、という感じ横溢の声が叫んでいる歌声に対する素朴な違和感。
父親の存在という、ある面で年配者に対する鬱陶しいイメージと重なったのです。
もう一つは、公立の小中学校特有の音楽教育で育まれた、固定観念から生まれているのだと思います。
小中学校の音楽室にある、古びた西洋人の作曲家の石膏像に象徴されるような、お堅~い雰囲気です。
何を言いたいか?というと、発声法というものがある特定の歌声を模範とし、その声真似になってしまうことはないのか?
これは、教え方の問題や、指導者の耳の問題かもしれません。
本来持っている声は、外人のような声ではないのに、なぜか外人のようになるのは、発声のせいなのか?それとも声真似をしているのでしょうか?
ドイツリートやバッハのカンタータを歌うバリトンは、ドイツ人のバリトンのような声でなければならないのか?
イタリアのヴェルディバリトンが、バッハのカンタータのアリアを歌うことはないですが、歌ったらどうでしょうか?
多分違ったものになるのではないでしょうか?
声楽が確かに欧州の文化から生まれたものだとしても、声質をぴったり真似る必要はないはずだし、そもそも真似る必要があるのかどうか?
声楽発声の何が正しくて何が悪いのか?という判断基準は、発声法という技術論だけでは片付かないものがありそうだな、と思うこの頃です。