喉で歌わない、喉を使わない、という表現の意味は、実際には喉を使う感覚でなく歌える、という意味です。
本当に喉を使わないのではなく、その感覚がないということであり、実際は使っているのだ、ということはご理解頂けるでしょう。

声帯も振動していますし、周辺の軟骨も筋肉も十分使うでしょう。
この感覚の状態を簡単に言えば、良い響き方をしている声帯、あるいはそれを支える喉頭や周辺器官は、知覚神経に対して、生理的な苦痛感を与えないのです。

良く考えればわかることですが、もし苦痛だったら歌など何曲も歌えないでしょう。
あらゆる運動を考えても同じですね。短距離走でもマラソンでも何でも、苦痛が酷かったら、素晴らしい成果は出せないでしょう。

でも、だからといってまるで苦痛がない、脱力してふわふわで出来るか?と言えば、それは間違っていますね。

増して、初心者のうちから、そんな理想的な状態で歌が歌えて、そうでなければ技術は習得が出来ない、ということがあるでしょうか?
そんなことはない、と思います。
マラソンも短距離も、何でもそうですが、訓練とある程度の苦痛は付き物です。

問題はその苦痛なり苦労なりが、正しいものか、間違ったものか?ということです。

これが一番問題ですが、喉に負担がなく苦痛がないから良い発声だ、という一部の誤解です。
これも初学者には自分で判断出来ない基準ですね。

喉に負担のない発声を長年やっていて、気がついたら声楽的に使い物にならない喉になっていた、ということもあるのです。