俗に言う「発声法」と呼ばれているものは、大体が対処療法的な言葉や実践ではないでしょうか。
これこれこういう姿勢を取る。口を開ける、開けない。
軟口蓋を上げる、上げない。後ろに廻す、前に出す、声を飲み込む、吸い込み??・・・etc

言葉で伝えなければならないから当然ですが、言葉は指導者の口を離れると独り歩きします。
指導者は伝えたはずだったのに、まったく違って解釈されていた・・という具合。

なぜでしょうか?

一つは、指導者と生徒の持っているスキルに差があることです。当り前ですね。
指導者がそのことに気づかないで教えている。

生徒はまるで雲をつかむような状態にあるわけです。

理論から丁寧に教えるといっても、そもそも歌う行為や声を出すことは、本来、人間に備わっている行動です。
歌うこと、言葉をしゃべること。
そこを外してしまうと、生徒はわけがわからなくなるでしょう。

一方・・・
まるで訳が判らなくても、本人が努力して良くなる場合もあります。
これは本人の自発性が大きいです。

発声法より自発性です。
訳のわからないことを言う先生を補てんする機能が「自発性」かもしれません!

あるいはかなり歌えるとしましょう。
後もう少しだけど惜しいな・・という場合。
これも自発性のあるなし、が進歩に大きな差をもたらします。
なぜなら、自分に満足してしまっている人は、それ以上伸びないからです。

独学をする人は、自発性がある人です。
ただし、自己満足に陥るから危険な面があります。
その意味で、声楽教師の存在は大きいのです。