声楽の演奏がマイクを使わないで歌うことの意味、マイクで歌うこととの違う意味はどこにあるのでしょうか?
声量の違い?
確かにマイクを使わなくても音楽演奏が実現できます。
私が考える一番の違いは、喉を楽器として扱うことで、歌詞の母音の響きを歌詞の意味に加えて、芸術的なまでの美しさに高めることだと思います。
これが実現出来ているならば、声量の大小はさほど問題ではないと思っています。
母音の響きの美しさを出す演奏であれば、自ずと声はよく響くからです。
もう一点、母音の美しさとは単に響きの美しさだけではなく、言葉の意味を想起させる響きとして感じられるかどうか?です。
「夕暮れ」という単語をその歌のメロディに載せて歌うとき、「う」の母音をどのように響かせるでしょうか?
あるいは「みぞれ」を歌うとき、どのような母音の響きでしょうか?
Oの母音の暗さでしょうか?Zの子音から紡ぎだされるOの母音には、どのような響きが似つかわしいのでしょうか?
これらのことは、詩の解釈やイメージを歌う者が持っていなければ感がつかないことだと思います。
そしてこの美しさの陰には、歌う者の感情が込められているのです。
声楽は芸術だ、声の響きの豊かさは、汲めども尽きぬ美しさをもたらすのだ!とモラーヌ氏は、私の耳にタコが出来るほどに言われていました。
正に、彼が言っていたことではないでしょうか?