一週間ほどお休みをいただき、長野に行って来ました。
休み直前に家族の健康診断の数値が悪いことが判り、どうも出鼻をくじかれた思いになりましたが、どうにかこうにか行って来ました。
年をとる、ということの意味が、日々実感されるこの頃です。
さて、夏休みと云うと、このドビュッシーの作品を想い出します。
中学2年生の頃、父の友人が貸してくれたレコードで、飽きるほど聞いた作品です。
どこかオルゴールのような静かな優しさと、ドビュッシーの音楽が持つ独特のエロチシズムが、良い意味で少年にはある種の理解を超えた世界でもありました。だから、何度も聞いたのでしょう。
孤独な心を癒してくれたのだと思います。
我ながら変わった少年時代だったと思います。ベートーベンを聴いて英雄気分になる方が、よほど少年らしいですから!
多感な少年時代に聴いた音楽が、いかに自分というものを形作っているか?が良く判ります。
おそらく、理知的なものよりは静かな情動みたいなものに、自分の芸術の嗜好があるのではないか?と思います。
あるいは、これらドビュッシーの作品が、自分の多感な思春期を色づけてくれたせいで、今の自分の芸術嗜好が出来たのでしょう。
実はこの曲の最初のモチーフ(動機)どこかで聴いたことがありませんか?これ、君が代の影響を受けたのではないか?
あるいは、君が代を聴いた日本のイメージに触発された書いたのではないか?と思うのです。
年代的にも符合するでしょう。
パリ万博は、1889年と1900年に行われていますから、すでに1880年作の君が代は発表されいたと思います。
ドビュッシーが博覧会場で「君が代」を聴いて、その東洋的神秘的な雰囲気に触発され、はるか遠い日の出ずる国にロマンを感じた、としても不思議はないです。