昨日に続いてドビュッシーです。
これも、夏休みに良く聴いた作品です。

改めてじっくり聴いて見ると、牧歌的な雰囲気の中に深い悲しみのようなものが底辺を流れているように感じます。
1915年の作ですから、ドビュッシーを死に至らしめた病気の痛いや苦しみとか、1914年に勃発した第一次世界大戦のことが彼を陰鬱な気分にさせた、とか、いろいろな論評はあります。

私にはフルートとヴィオラの対話や舞踊のように感じます。
人格的、言語的な様相がメロディの形にあり、語ったり踊ったりしているように思えます。
どちらかといえば、ヴィオラが男性で、フルートが女性です。

悲しそうなヴィオラに対して、フルートは母性的で明るく優しさに満ちています。
男性は、女性のこういう明るさと優しさに慰められるものなのです。
いや男性は、ではなく私は、の間違いでしょう!

ドビュッシーは神秘主義思想や、秘教的な団体と交流があったと云われています。
サティも確か薔薇十字団に入っていたと思います。

音楽の作り方や、目的の中に、彼の思想が良く表れているのが、晩年の作品です。

メロディが移ろい、現れては消え消えては現れします。
激しい興奮がないまま、終焉を迎えているのか?も良く判らないまま、曲は突然終わりを告げます。

ドビュッシーの語った言葉ですが、一般大衆に理解されるように作ることは、芸術の終焉を意味するのだそうです。

逆に言えば、わかりやすい音楽は芸術ではない、と。

我々には大変に厳しい言葉ですが、改めて今のような時代にこそ、この言葉を良く噛みしめたいと思わせる力を感じるのが、ドビュッシーの作品にはあると思うのです。