秀逸なツイートだったので、下に引用させてもらった。
毎年、東日本大震災の前日のこの日を忘れないでいる。
親から伝え聞いていた大空襲のこと。
実は9日夜の国営放送の天気予報で、米軍のアーカイブにあった東京大空襲直後の写真を引用して、この時期の季節風の解説をしら~とした顔でやっていたのがどうしても腑に落ちなかったのが理由。
せめて大空襲の惨事の事実を前置きしてから解説すべきだろう。
あまりに悲惨で言葉にならないことが、自分の生まれた日本で生まれた年の11年前に起こったということ。
青息吐息だった当時の日本に対して、米軍のこの攻撃も残酷極まりないのだが、ここまで来て敵にやりたい放題させていた日本も日本だと思う。
一握りのエリートの高邁な思想追及の結果に、一体どれだけの人命が紙くずかごみのように死んでいった時代。
戦争は悲惨なもの、とは簡単に言えるが、過去の責任を問うて何がどうなるものでもないが、起きたことを忘れていては、世の中は変わらないままだろう。
大海の砂の一粒に過ぎない自分の文章でも、読んだものが記憶してくれれば、知っていてくれれば、と願って書いた。
一日で10万人が亡くなったとされる #東京大空襲 から今日で72年。人間が数値となったときに残酷さの理解を妨げることは、ドイツでは深く共有されている認識です。平和期の写真にある、数値ではない一人ひとりの顔が、戦争の無意味さを訴えます。https://t.co/AAUPIBfUk7 pic.twitter.com/EHHpKZjKQz
— 東京ドイツ文化センター (@GI_Tokyo) 2017年3月10日