このピアニストは不明(エヴリン・クロシェとコメントには噂されている)ですが、本当に自分の語り口でとつとつと喋るような個性的で知性の光る演奏だと思いました。
名人芸的な見てくれの良さがあるとは言えないですが、それだけに、どこか忘れられない惹かれるものがあります。

それはフォーレの音楽でこの曲だからというだけではない、このピアニストが自分に合ったテンポで演奏するスタイルが出来ていたから、皆がこの演奏に自然に惹かれたのではないでしょうか?
この地味な曲が5年あまりで7万回閲覧されていてイイねが223回。
閲覧数もイイねも経年数で見れば一位なのは、この方の演奏力がフォーレの音楽の核心を突いたのだと思います。

パリ留学時代の師である、カミーユ・モラーヌ先生はフォーレを評して”Très modeste”「とても慎み深い」と言ってましたが、本当にそうですね。
日本風で言えば「地味派手」でしょうか(笑)

一見目立たずに地味ですが、良く観察して中の方に目を向けると、実に豪華な輝きが垣間見えるからです。
贅沢とか豪華と形容される言葉の意味は、ボードレールが「旅への誘い」という「悪の華」の詩集の中の詩に表現していますが、
本当はキンキンキラキラしたものではなく、もっと秩序の明快な静的なものである、ということだと思います。

このフォーレの音楽が、若いころは良く判らず、かといって無視して通るわけにも行かず難儀したものです。
しかし自分に課したことは、判らないからこそ判るようになろうと、何度も何度も演奏し、生徒たちにも積極的に教えたことです。

判るようになったきっかけは、ある女性が歌った「5つのヴェニスの歌曲」でした。
モノトーンで抽象模様のゴブラン織りタペストリーを眺めるような気分にさせられたことでした。
こうなると、次から次へ何を聴いても面白くなります。

或いは、全く別の話しですが、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲。
何十年も聴いて知っているつもりだった曲が、チェリビダッケが振るミュンヘン交響楽団による演奏を聴いて鳥肌が立ちました。
それまで聞こえなかった音がしたし、聞こえないがイメージされる空気感が存在することも判りました。

演奏の力は大切だと思います。