年末に信濃追分の山荘に行った帰り、いつもの関越自動車道の寄居インターにある星の王子様館の建物の壁に書いてあるフランス語が気になったの写してみました。
星の王子様のお話の中に、キツネとの会話が出てきます。
そのなかの一節が、この画像にある銘板の言葉です。
きみ泣いてしまうの!?そうさ!
泣いたってなにもいいことないよ。
あるよ、麦の色があるさ・・・
実はこの言葉には前があります。王子さまと知り合ったキツネが、王子さまと別れる段になって語った言葉です。
キツネにとって、麦は人間のものであり、自分には何の関係もないつまらない取るに足りないものだった。
ところが王子さまと知り合ったことで、その美しい金髪が麦の色と同じことに気づかされたのです。
王子さまと別れても、麦の色を見れば王子様を思い出せる、というわけです。
もう一つは有名な狐の言葉。「もし君がぼくと仲良くなれば、気持ちの良い日向ぼっこみたいな気分になるさ」、というところです。
m’apprivoiserという動詞は、私を飼いならすという意味ですが、キツネは仲良くなるという解釈をしています。
この「星の王子様」は小説ですが、日本では子供向けの童話のようにとらえられています。
しかし、子どもの頃に読んでもさっぱりわかりませんし、興味が持てませんでした。いま、改めてフランス語で読んでみてわかったのは、読解力を付けて結果的に思考力を育てる、という意味で子どもに有用な小説であるのではないか?日本語で読むということは、良く言えば情緒的な面を読み取って道徳的なことにつなげてしまいがちではないでしょうか?
友達を大切にしましょうとか、愛は大事であるなどなど・・・。
作者がこの小説に愛や友情や目に見えないもの重要性を説いていたのは確かですが、フランス語にはそういう観念をより論理的に読み込もうという意志と言うか伝統がある気がしてなりません。
つまり、情緒という観念は人それぞれの捉え方という個別性が大きいが、思考論理の育成は普遍性が大きいと。
友情や愛が「大事」かどうか?という道徳性よりも、なぜ友情が芽生え愛が育つのか?というロジックへの理解を育てるように思えました。
レトリックを大事にするということでしょう。