このウーノを買ったのが1990年で今から28年前だから、ちょうど34歳のとき。
1989年製で1年落ちでした。
買ってから近場を乗り回して本当に目から鱗だったのが、シートの出来の良さと足回りの良さでした。
ショックアブソーバーが柔らかく良く沈むのですが、戻りがゆったりしているので、ふんわりした感じがでありながら腰があるのです。
したがって、大きなカーブを高速で回ると傾斜が強く出ますが、横Gがあまり出ず安心して乗れる車だったのです。
このショックの設計は、都内のでこぼこ道には合わず、長距離の国道や高速道路で進化をはっきしてくれました。
つまり、長距離に強い設計だったのです。
エンジンですが、日本車の同サイズに比べるとパワーが少し落ちるのですが、トルクはしっかりありボディが軽かったので、出足は良かったです。
それ以上に、キャブレターがウエバーのツインチョーク(1つのシリンダーにアクセルチョークの羽根が2つ入っている)だったので、一気にアクセルを踏むと一瞬バフッとためらった後一気に加速していく、というスタイルで、
その加速感は実際以上に速く感じさせられて、嫌でもアドレナリンがしっかり出てくるものでした。
実際、交差点グランプリでは、日本の本田のプレリュードに軽く負けてましたが(笑)やる気になるところが、イタリア車らしいではありませんか!
そして排気音が、車というよりもバイクという感じでしたが、それが良い音なのです。
イタリアの大衆車の個性というものが、いかに日本のそれと違うものか!
文化の違いをひしひしと感じたものでした。
つまり私はイタリアが性に合っているわけです(笑)
この車、とても気に入っていたのですが、飛んでもない事故に会ってしまい、たったの2年でお別れとなってしまいました。
盛岡まで長距離ドライブの行道のこと。
仙台で高速を降り、北仙台にある光明寺で墓参りをし、古川から鳴子温泉に行き一泊。
翌日、秋田県の横手城を目指しました。
そして、横手城を見学して駐車場に戻ると、はて?車がありません。
一瞬焦りました!
すわ!盗難か?ということで警察に電話しました。
そして現場に戻ってみると、地元の人らしき人が谷底を指さしながら「何か赤いものが見えるよ」というのです。
はっとしてよく見ると、なんと!わが愛車がその谷底に見事に落ちていたのです。
言葉になりませんでした・・・・
横手城の駐車場は、天守閣がある場所の広場にあり、崖にそって止めるようになっていました。
その崖には車止めもガードレールも何もなかったのです。
また、その時に限ってギヤをニュートラルにしたままで、パーキングブレーキを引いていたのでした。
いつもは、必ずギヤをバックに入れていたのにです。
好事魔多しとはいいますが、本当に自分がそういう経験をするとは思いもよりませんでした。
壊れたウーノの写真を見ると、今でも胸が痛みます。
27年も前のことですが、今でもこの車は自分の人生の中で最高の車だった、と思えるのです。