天体撮影に一人で遠征(というほど遠いわけではないですが)に行くといつも「暗い趣味だなぁ」と思います(笑)
いや文字通り、暗い中でやる趣味ですからね。
暗い中で機材を組み立てたり、撮影したり、お弁当を食べたり。
もちろん電気の灯りはあるわけですが、現実の暗さは変わりません。
そんな暗い中に、現実社会から入って行く。
まさに何か山ごもりか、修行の旅のような気分になります。
実は天体撮影に行くのは、少し鬱陶しい気分になる面があります。
いつも独りでやるからでしょう。
機材を夢中で組み立て撮影に集中し、リモコンに任せてふと休んでいる時に、現実のいろいろな問題やちょっとした普段から未解決の悩み事、悲しかったことなど、思い出されてきて、どうも何か漠とした不安に襲われるのですね。
そういう時間を少し過ごして、数時間も経ちますと、これが不思議なことに、胸を覆っていた不安がいつの間にか雲散霧消してしまうのです。
そして撮影も終わり、機材を片付け、暗いフィールドから車に乗り、街に戻る瞬間、何ともなごり惜しい気がして来ます。
街に戻る度夜中でも車が走っていて、それを見ると、何か山籠りから抜け出てまた現実世界に戻った気分になります。
こんな経験が、何か日常の良いアクセントになっています。
撮影の旅
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早い話が「窮すれば困する」ってだけなんですけれどね(苦笑)。
心の余裕がない・・と自分を客観視出来るのだから、実にまともですよ、ゆうさんは。
カタルシス、ある程度は必要かもしれないですね。
神の啓示なんて、これもそんなたいそれたことではなく、徹底した日常の何でもないことが良いのでは?
趣味というかライフワークの一部ですけれど、机に広げた原稿用紙に向かっている自分の姿を想像すると暗いなと思うことがあります。名作は夜、生まれるという言葉があるくらいですので、これも暗いです。
しかも昔はペン先から流れ出るインクが涙のようなカタルシスのように書いたら気が楽になったのですが、最近は、万年筆のキャップをペン軸の後ろにセットして、いざという段階になっても何も出てきません。
最後に旅行に行ったのは沖縄の写真家の家だし、星空を眺める心の余裕もありません。英文学でよく使われる「神の啓示のように」という、そういう体験が不足しているのかもしれません。