フランスに留学する前に、先生に教えてもらったレオ・フェレがボードレールの詩に付けたシャンソン。
聴いてぶったまげた!
それまで、デュパルクを通してしか知らなかったこの詩の数々が、活き活きと心の中に飛び込んで来たからだった。
今でこそ、デュパルクの良さが判るが、それでもレオ・フェレが歌うこの曲を聴くと、詩の意味が直截に心に響いてくる心地がする。
軽やかさ、とか少しばかりの悲しみ、と言う具合、極端にならない表現がフランスシャンソンの伝統ではないだろうか。
あるいはフランスの音楽の、と言い換えても良いだろう。
上田敏の訳、「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてうら悲し・・・」で明治時代から日本で有名な、ヴェルレーヌの「秋の唄」がこんなに洒脱でフランス語が綺麗なものだったとは!
彼の歌を聴くまで、判らなかった・・・
ちなみにネットにはこの詩の日本語訳がいくらでも転がっているので参考にしてみてほしい。ヴェルレーヌ 秋の歌 で検索にかかるだろう。
詩というものはメロディが付くとどれほど印象が変わるか、という良い見本だと思う。
いや・・後で良く聞いて思ったのは、このレオ・フェレって人、かなり反抗的な気分でこの曲を書いて、あるいは歌っているのだと思う。
良識ある人々に古くから愛されている有名な詩を、あえて崩して歌って見せる、反抗的なものを感じるのでした。
考えてみれば、ヴェルレーヌって良識ある人ではないものね。笑
秋の日のヴィお論
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