正月は元旦の雑煮を食べ、翌日から二泊三日で盛岡に行ってました。
妻の実家のある街です。
以前からこの街に朝夕流れる市庁舎の時報のチャイムのメロディが気になっていました。
石川啄木の詩につけたどこか旧制高校の寮歌だ、という話でした。
盛岡一高ではなく、どこだろう・・・と調べたら、滋賀大学経済学部の前身での彦根高等商業学校
の「偲聖寮寮歌」がオリジナルだそうで、昭和11年の日活映画「情熱の詩人啄木」の主題歌とし
て挿入されたそうです。その際、作曲が古賀政男でしたが、オリジナルの寮歌を編曲したのでは
ないかとも言われています・・・。
詩の第一節をここに載せてみます・・・
春まだ浅く 月若き 命の森の夜の香に
あくがれ出て 我が魂の 夢むともなく夢むれば
狭霧(さぎり)の彼方そのかみの 望みは遠くたゆたひぬ
すでに啄木の天才が表れてますね~~
全部で5節ありますが、最後の節・・・・・
雪を頂く岩手山 名さへやさしき姫神の
山の間(はざま)を流れゆく 千古の水の北上に
心を洗い身を清め 理想の道を我行かむ
私はこの極めて個性的なチャイムの音楽がずっと以前から気になっていました。
今回作った動画も、偶々盛岡が珍しく正月の雪だったせいもありますが、暗い思い詰めたような表現になってしまいました。
ちょっと判り難い主観ですが、時代には時代が表す狂気のようなものがあります。
芸術というものはそのような時代が煮詰まった所で出てくる狂気を、天才がひょいと拾って作品にまで昇華するのだ、と思うのです。
どうして上に掲げた啄木の詩が、このような歌になったのか?とても解き明かせないですが、
かつて日本の明治から戦前にかけて連綿と流れていた狂気、と一言でくくりたくなる何かを
感じるのです。
そして、一度は途絶えたはずの狂気が、今どこか似たようなものとして復活しているような気がしてなりません。
この動画を作ってそんなことを思いました・・・
盛岡市のチャイム
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