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今日は壊れたビデオカメラを修理に出すため、キャノンの修理センターがある新宿西口に行ってきた。
何年ぶりかだったが、数十年ぶりに来た気がして、名状しがたい気分に襲われた。
それは、この辺りの景色が基本的に数十年変わっていないこともある。
中学校の頃には、この西口の地下の広場のような構造はすでに出来ていたのである。
その頃は学生運動が盛んだった。
テレビで、この西口広場で平和を訴えるフォークソングの歌声集会の巨大なものが行われているのを中継していたのを見たことをはっきり覚えている。
その頃は、労働組合のストライキとか、このような集会とか、反戦とか、運動とかいうものは、多少過激で社会迷惑な要素があろうとも、聖にして純なる目的があり、未来こそは、このようなエネルギーがある限り明るいのだ、と私は信じることが出来ていた。
その頃、ラジオで短波放送を聴くことに凝っていて、隣国の「文化大革命」なる単語には、ぶったまげたものだった。
文化の革命!?
そんなものが起こるのか?と。
真面目に、隣国の短波放送を聴いて、受信レポートを送ったら、何と毛沢東語録を送ってきた。
日本の同士諸君、、と始める日本語放送は、今はなくなってしまったのだろう。
と、そんなことを取りとめもなく想いながら、あの西口の地下通路を住友ビルに向けて歩いていた。
そう、もちろんそんな硬い思い出だけではない。
20歳を少し過ぎるころ、あの西口の交番前で良くデートの待ち合わせをしたことも覚えている。
その時彼女が着てきた、ツイードのジャケットの柄まで覚えているのが不思議だ。笑
ぼくは大学を中退して、彼女は大学を卒業して、就職試験に備えているのだった。
その頃、ぼくは行き場を失っていた。
たった一つだけ、ピアノを独学で練習して少しだけ弾けるようになったことだけが、自分の中の取り得だった。
そうして、30年経った今の自分がいる。
その心臓は、くたびれた自動車の不揃いなアイドリングみたいになってきている。
頭はすっかり禿げ上がり髪の毛も真っ白だ。
あっという間の30年に、大声で泣き出したくなったが、そんなセンチメンタルも何だかばかばかしい気がした。
こんなちっぽけな人間にも、一人前に人生はあるのだ、と気を取り直した。
自分の横を通り過ぎ行く人たちが、妙にいとおしく感じられた。
自分と同年代くらいの、足の不自由な人が、その足を引きずっていても、顔はにこにこして前を真っ直ぐ見て歩いて行った。
気を取り直して、自分も家路を急いだ。