色々な人を教えていると、ちょっとしたミスや訂正で、言い訳の上手な人や
黙っている人、などなど色々なキャラクターと遭遇することになる。
黙っている人、というのは強いと思う。
言い訳が上手い人は、それでその人の底が見えてしまうものだ。
巧言令色少なし仁、と言う言葉、今ほど身にしみることはなかった。
ぼくたちは、普段、仕事もしているし、自分のミスをいかにしてカバーするか?
仕事であれば、その仕事のミスに至る過程や、そのことでこうむることになる、実質的な被害など
あろう。給料を対価としてもらう組織に働くものであれば、言い訳を上手くすることも仕事のうちである。
ところで、趣味の音楽演奏はどうだろうか?
レッスンで歌やピアノを指導しているときに、しばしば思うのは、言い訳するよりも
言われたことを素直にやってみる姿勢の方が大事だと思う。
せんせーだからこんなことを書いているのではなく、自分の過去を振り返ってつくづく思うのだ。
理屈というのは、小才のある人の特権で、いくらでも言い訳を理屈で言えるものである。
しかし!いくら言い訳が出来たとしても、その人の可能性はそれで終わりになってしまうのである。
なるほど、そういう解釈も出来る、と他人に耳を貸す度量を持ってこそ、自分の枠を超えることが出来るでのではないだろうか。
自分の普段の思考スタイル、行動パターンを逸脱してみることは、なかなかエネルギーの要ることで
大人になればなるほど、理屈や言い訳が上手くなればなるほど、そのパターンから抜け出せなくなるのである。
お稽古事の効用、というのは、実はお稽古そのものよりも、このような自分の枠を越える、破るという
少しばかりエネルギーの要る経験、負荷(ストレス)のかかった経験を通して、殻を破ることにあるのだ。