自宅から駅まで歩く途中に、もう10年近くも空き地のままになっている土地があり、その奥に柿の古木がある。
秋も終わり初冬になると、その古木は毎年のように実をたわわに付け、背景の青空との対比が季節を感じさせてくれていた。
それは、味気ない通勤途中のささやかな楽しみになっていた。
ところが、今年は妙なことを思った。
どうして鳥たちは、あのたわわに実る柿をついばまないのか?と。
カラスもすずめもついばまない柿の実は、恐らく渋柿に違いないのだろう、と。
渋柿なんて、人間だけの勝手な嗜好に違いない・・と今までは無意識に思っていた。
もう年の瀬を迎える季節になっても、鳥さえも振り向かない可愛そうな柿の実は、きっとただ渋いだけではなく、不味い柿の実なんだろう。
ぼくらの身近にもいくらでも転がっている似たような話を思いついた。
ただそれだけのことだが、人に打ち捨てられた空き地の奥に佇む柿木の風景に、冬の孤独わびしさを感じた。
歳末に柿の古木を想う
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