自分がクラシック音楽を聴く側に立った場合、限りなく芸術的であるか古典的な作品を求めたくなります。
快楽的な要素を求めたい場合は、Popsなど他ジャンルの音楽がいくらでもあるからです。
音楽を聴く姿勢も、ほぼ職業的になってしまっているのかもしれません。

快楽的な要素を求める場合、どういうものが良いか?というと、落ち込んだ頭を明るくしてくれる曲がすきです。
「我泣きぬれてカニと戯る」的なヒーリング音楽というのでしょうか?は苦手です。

ただJazzのバラードは大好きです。本当に心の底から泣いているからです。
作られた感のあるヒーリング音楽と称するものは、泣けるだろう?泣けるだろう?と言ってくるのが見え透いているのです。

ところで、今回ラヴェルの演奏会をやってみて、改めてラヴェルの音楽の持つ魅力の一端に触れることが出来ました。

ラヴェルという人は、ドビュッシーと全く違って、どこか人間離れしたところ、あちらの国の人的な要素を感じるのですが、実はドビュッシー以上に熱い心がある人でもあります。
多分、ラヴェルは自分の世界に徹頭徹尾浸っているが、ドビュッシーはいつも聴衆が見えていて書いている節がある。

私はどちらも好きですが、人間的にはドビュッシーに近いと思います。
いつも悩んでいる人だ(笑)
ドビュッシーは俗っぽい悩みをバネにして、あの素晴らしく官能的な世界を描くことが出来たのだと思います。

ラヴェルは多分、俗っぽいことでは悩んでいなかったのではないか?
そんな俗っぽいことは考えていなかっし、音楽のことだけで考える暇がなかった。

それはともかく。
このチェロソナタ。本来はヴァイオリンソナタですが、チェロ用に編曲したものだそうです。
ラヴェルは編曲が多いですが、まったくオリジナルとそん色なく出来ている。
その辺りも、ラヴェルらしい職人芸的な要素が横溢した作品だと思います。

曲の後半のサビの部分で、オクターブでメロディを弾くところが実にシュールな表現で良いではないですか!